---> ぼくが思っていること
同じ日本語と思うからいけないのよ。言語思考が違うんだ。
「ごめん、あなたのことを試してみたんの...」なんてことは絶対に許せないのよ。信じてないってことだもの。
その後「お前は緊張感が足りない!」と怒られたことも何度もある...!
「お前はワキが甘い」と何度も指摘された自分にとっても大事な考え方だと思っているんです。
今は蛍光灯もなくなってLEDですね。時代は回る。
もうこれなしには生きていけない身体になってしまいました...!
仕事はすぐやる方がいいのです。自戒を込めて
ジムで派手なシューズを履いていれば「え〜、派手すぎ!」というし、地味なのを履いていれば「ジジくさい〜!」という。同じ人です。変な人には近づかない。
目の前のやることをゆっくりやっていけばいいんだって、自分に言い聞かせる毎日です。
夜考えるとだんだん深みにハマってくんです。
ビールの宣伝ポースターってビキニの女性がジョッキをもってニッコリってイメージだったけど、最近は違うんですね。前からか?
三月は卒業、四月からは新生活、季節は回っていきます。バンザ〜イヽ(´▽`)/
判断や反応・対応が、そのときどきや相手次第で180度変わる人が存在する。ものすごく疲れる。困っちゃいます。
中学校という人格形成期に、いい仲間に巡り会えていたのは幸せだな。
部下や同僚、あるいは上司に何かいつもと違う動き、違う態度が見受けられるとき、そいつは何かこちらの不利益になることを隠している。
「勝つこと」を定義するのは難しいし、「勝つこと」を目標にしていると、いつまでも飢えや渇きは無くならない気がする。
働くことっていうのは楽しいことばかりではないものの、少なくとも「常に奴隷的な苦役」であってはならない。
常識とは異なる意見は耳目を集めやすい。それが本当にユニークで一理ある意見なのか、何かのポジショントークなのか気をつけないとな。
ほんと、人間関係はめんどくさいな。
2018年2月16日金曜日。春節。ベトナムではテト。つまり旧正月です。
忠をとるのか孝をとるのか、はむかうのか降るのか、それと似たような選択は常に下して来たのかも。
ぼくも含めて、文法や単語の選択、発音は、まあまあできたとしても、「斬れる」英語がなかなか話せない。だから伝わらないことが多いのではないかなって思います。精進精進ヽ(´▽`)/
いろんな言葉のいろんな隠された意味をあれこれ自分で考えると疲れてしまう。
一つひとつを丁寧に、終わらなくてもいいから、丁寧に取り組んでいく、それが一所懸命なんだって思う。
経験によって感性は変わってくるのだろうか?経験は感性というフィルターをとおしてでしか得られないのだろうか?
どう生き延びて行ったらいいのか。敵は誰なのか。力になってくれる味方は誰か。自分をどう守ったらいいのか。色々勉強させてもらいました。
会議やプレゼンテーション、客先との商談の席などで、ついつい出てしまいがちなのが前置き。ぼくは不要だと思います。
一旦決めたことを「やっぱり...どうしようか...」と考え直そうかなって思うときはストレスが溜まってることが多い。ストレス試験紙。
会社に入ってしまっていれば、健康診断の数値なんて、多少悪くても笑い話ですが、入社となると話は別です。健康診断もまた選考の一過程です。
21世紀になったら「タイムマシン」が出来るだろうって、本気で思っていたよ、でもそんなものは売ってないので、未来は想像するしかない。