〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

コンドメシ・マタサケ

 
コージロー、今日もまた、コンドメシ・マタサケだったよ。
ぼくがまだ高校生くらいのころ、40年も前のことですが、父親がときどきぼやくともなく言っていました。
 

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「コンドメシ・マタサケ」って、「こんど飯でもいこうよ」「また酒でも飲もうよ」を合わせた言葉。親父の造語なのか、だれかが言った言葉なのかは不明です。

 

要するに、「話は終わり、さようなら」という意味です。

 

親父がそう言われた文脈や状況はわからないんだけど、金とか仕事のからみでの深刻な話ではなかった気がする。何かの会談をおひらきにする陳腐な常套句・クリシェが使われた会合などを冷笑していたのではないかな、と思います。

 

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その後、当時ちょっと流行った「ユーモアスケッチ*1」の何かに「ニューヨーク流のさようならは『こんど一緒に飲もうよ』なのである」という一節があった。

 

「また飲もうや」「うん、今度メシを食いにいこうよ」、これは別れのあいさつ。

それを真に受けて、「いいね、いつにしようか? 和食のうまい店があるんだ!」などと返すと、戸惑われることが多い。

 

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ぼくは疎いところがあって、さすがに「ぶぶ漬けでもどうどす?」と言われればその意味は分かる(言われたことはない)。でも、「ねえ、時間、まだ大丈夫?」が「もう帰りたい」であるとか、お茶が差し替えられたら、そろそろ時間なのだとか、そういうジョーシキを覚えるのには時間がかかった方だと思う。

 

そういえば「クチキさんは個性的ですなぁ!」というのもずっとほめられていたと思っていた。おめでたいねヽ(´▽`)/   だけど、ぼくが全然気がつかないもんだから、そんなイヤミを言った連中はもっともっとイライラしたんだろうな、あはは!

 

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コンドメシ・マタサケの言わんとする意味は分かるんだけど、「今度また、一緒に飲みましょう」って別れ際に言われたら、ぼくはそれを本気にする。いろんな言葉のいろんな隠された意味はなんだろう?ってあれこれ考えると疲れてしまうもの。

 

だからね、今度またメシでも食いに行きましょう!....いつがいいのかな?ヽ(´▽`)/ 

 

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*1:戦前、アメリカで流行ったユーモア短編小説やエッセイの総称、翻訳家の朝倉久志氏が1980年代に翻訳し早川書房で出版しました。