〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

他罰的であることの是非(よしあし)

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以前勤めていた会社のある経営者の方は、とても勉強家だし人格的にも優れた人で、ぼくは今でもとても尊敬しています。その人はとても示唆深い「キーワード」をぼくたち社員にときどきに示して、より良い働き方の方向性を示してくれました。

 

あるときにこうおっしゃっていました。

「あの人が悪い」「誰それさんのああしたことが失敗の原因だった」と他罰的であることは止めてはどうでしょう。他罰的であること、失敗の原因を他者に求めてもモノゴトは解決しません。むしろ「自分はどうすればよかったか」を考えてはどうでしょうか。

 

元からその会社は割と「おっとり」していて、責任をゴリゴリ追求するというよりも、発生してしまった問題解決に向けて協力して行こうよという傾向の強い会社ではありました。そんな下地もあったのでしょう、「他罰的であることはやめよう」という考えは社内にスーッと浸透して行きました。

「他罰的だ!」 というお前が「他罰的」だよヽ(´▽`)/ 

そんな冗談もよく聞かれたものです。

 

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それでもぼくは思う。「他罰的であることを否とする」考え方も時と場合によりけりだと。

世の中には、本当にこちらを傷つけるためだけに存在していたり、こちらをけ倒す、引きずり下ろすことを目的としている人間が存在することは確かです。単に意地悪な人もいれば、自分が生き残るためにこちらを倒しにかかってくる人もいる。

そんな人たちはただただ「悪人」であり「どうしようもない敵」です。だから堂々と「あいつらが悪い。こっちは全然悪くない」と考えればいいと思う。

反省すべき点はこっちにもあったのかも(自罰的)などと考える必要は全くない。

一番大切なのは、自分の身体と精神の健全を保ち続けること。それを阻害してくる人間は「悪である」と認識して全く構わない。

「あの人がそうしてくるのは、わたしもまた悪かったのかも...」などと考える必要はありません。

 

ほんとだよヽ(´▽`)/ 

 

 

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