〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

投資とは、資産を資本に変えること

       

「投資」と聞くと、多くの方がまず思い浮かべるのは、株式や債券、投資信託といった金融投資でしょう。あるいは、「ワンルームマンション投資」など、いわゆる不動産投資も盛んに紹介されているので、それを思い浮かべる人も多いかもしれません。

そこでは、「投資」の名のもとに、収益性や利回りを前提とした資産の運用が語られ、利回りの計算、タイミングの見極め、節税効果といった“お金の技術”に話題が集中する傾向があります。そうした話題こそが「お金の勉強」なのだと、あちこちで喧伝されています。

――ホントかな?

それも無理はありません。ぼくたちが「投資」という言葉に触れる場面の多くは、金融機関や不動産業界など、資産運用ビジネスを生業とする人たちによってつくられているからです。

金融業に働く彼/彼女らにとっての投資とは、「(誰かの)金融資産を使ってお金を増やすこと」であり、価値創出とは基本的に、金銭的リターンを生むことに限られています。しかも、自分でそれをやるわけではなく、誰かの(カモ)の持つお金(ネギ背負ってる!)をあてにして語っている言葉でもあるのです。

けれども、「投資」の本質は何かと問われれば、それは資産を資本に変えることです。

つまり、ただ資産を持っているだけではなく、それを動かし、何かを生み出す源・資源として機能させること。それが投資です。資産を投げ入れ、(利益を期待する)資本へと変えていく行為、それこそが投資なのです。


資産と資本の違いとは?

それでは、資産と資本は違うのか――といえば、やはり違うのです。

経済学において、「投資(investment)」とは、将来の生産や価値創出のために、現在の資源(資産)を用いる行為と定義されています。

日本語だと、たった一文字違い。でも英語だと、まったく別の単語ですよね?

「資産(asset)」とは、保有されている金銭、土地、設備、知識、あるいは法的権利など、一定の存在や形を持った資源を指します。

一方で「資本(capital)」とは、そうした資産が価値を増大し、利益(多くは金銭的)を生む可能性を高めるために機能し始めた状態を指します。

つまり、「資産」は単なる存在の事実であり、「資本」は機能し始めた結果、資産が変質したときに使われる呼び名なのです。

同じ鋼鉄でできた鋭利な物体でも、料理に使われれば「包丁」と呼ばれますが、犯罪に使われれば「凶器」と呼ばれる。――ちょっと違うかもしれませんが、言葉が機能や文脈によって変わるという点では、似た話です。

たとえば、自分の住む一戸建てを所有している場合。それは確かに「資産」ではありますが、自分で住んでいるだけで賃貸に出して利益を生んでいるわけではないのであれば、それは「資本」ではありません。

もちろん、その家の資産価値が年々積み上がっていくこともあります(逆に下がることもある)が、それはあくまで静的な保有にとどまり、資本としての機能を果たしているとは言いがたいでしょう。


「自己投資」という言葉の再考

近年では、「自分への投資」という言葉もよく耳にします。

――ホントかな?

語学の習得や資格取得、あるいは自己啓発だけでなく、「見聞を広めるのもいいことだ」として、海外旅行すら“投資”としてすすめられる場面もあります。

もちろん、それが将来、仕事や人生において成果や報酬につながるのであれば、投資的な側面があるとは言えるでしょう。

けれども、単に経験を増やすだけ、あるいは気分転換や満足感のためだけであれば、それは人的資産の形成の一つの形ではあっても、「投資」とは呼べないのではないでしょうか。

教育を受けること、スキルを身につけること、健康を維持すること――こうした行為も同様です。たしかに、それらは人的資産の価値を高める行為ではありますが、それだけでは投資とは言えないと思います。人的資産を人的資本に変換するためには、そこから生み出す価値を増大させるためにとるアクション、つまり、人的資産を投資して人的資本に変換して利益をえることが必要なのです。転職してお給料が上がることなどは一つの典型だし、起業して、大儲けすることもそうでしょう。もちろん損する可能性も当然ありますよ、投資だからね。

つまり、資産が、利益を生む可能性を高めるために実際に機能し始めたとき、つまり、投資して、そこではじめてそれは資本となり利益なり損失なりを産む。資産を資本に変換して、その機能を発動させる行為が「投資」なのです。


投資とは「動かすこと」である

この視点からすれば、貯金や預金もまた「資産」形成の手段ではあっても、「投資」とは言えません(言いたい人はいるでしょうけどね)。

お金を預けておくだけでは、それはただの蓄財、蓄積にすぎず、資本として機能しているとは言いがたいのです。今の日本の金利ではね。

投資とは、あくまで資産を動かし、何かを生み出そうとする能動的な営みのことです。

投資とは、単に資産を増やすことではありません。
資産を眠らせずに、資本として生かそうとすること。
その意思と行動のなかに、「投資」の本質があります。


どうです?

「投資の勉強」といっても、それはお金をどう増やすかという“狭い意味での技術”の話だけではありません。そんな話をする人たち、テレビやネットの情報やCM、それは全て、彼らの利益のために行なっているのです。

資本主義にようこそ。

自分の持っている資産は何か、それを資本に変えるべきか、変えるとしたらどんな形がいいのか――それを考えることが、投資に向き合うことなです。

 

ぼく?


1980年代の半ば、バブルの頃、土地だけではなくて、「マネーゲーム」という言葉が流行って、それに踊らされて、大損ぶっこいた人をたくさん見てきました。破滅する人もいたなあ。

ぼくはといえば、大損まではいかなかったけれど、ずいぶん授業料は払いましたよ。

©️朽木鴻次郎 プロダクション黄朽葉
トップページはこちらです。kuchiki-office.hatenablog.co