30数年まえ、新卒で会社に入ってすぐ、英文の「ジョブディスクリプション(Job Discription)」の読み合わせを命じられた。先輩の女性社員と2人1組になって、一人が原稿を読み上げ、もう一人(僕)がタイプの上がった清書を一語一語チェックしながらスペルミスや脱字がないかどうかチェックする作業です。その頃は英文のワードプロセッサもスペルチェッカーもなかったのよ。
そのときにジョブディスクリプションというものを初めて知りました。担当のKさんは人事30年の大ベテランでした。
仕事をしない人に向かってね『これこれは君の仕事だからきちんとやりなさい。ほらここに書いてあるでしょ!』ってやるんですよ。海外ではね。
そう教えていただきました。
ジョブディスクリプションそのものは、A4の紙に1-2枚程度のものですが、現地鉱業所組織の全てのポストについて作成するので、膨大なペーパーワークでした。何しろワープロがないのよ。IBMのメモリー付きのタイプライターを会社が購入する数年後のことだもの。
時は流れて、二度目の転職をしたときにまず言われたことは;
あなたとあなたの部下のジョブディスクリプションを作ってください
え? ジョブディスクリプション、自分で自分のを作るのですか?と喉元まで出かかりましたが、グッとこらえて:
「はい、わかりました」と応えたよ。
上司の筆は入るにせよ、自分で自分のジョブディスを作った方が有利に運べるに決まっているもの。
今では少なくなったのかな? 今世紀前半の流行りは「成果主義型の人事評価」でした。昇進・昇給・処遇、そう言ったことを、ジョブディスクリプション、設定した目標と達成した成果などを元に上司と話し合うのです。
めんどくさいし、嫌でしたね。なぜ?
評価される方は必ず「私は・私の部門はこれこれを達成しました。難しい状況でしたが、ここまではできました」っていう主張になるんだけど、
上司・会社サイドはたいていの場合は「君は、君の部門は、君がいうほど出来ていない。成果は上がっていない」という否定になるのです。
こっちが上司の立場のときは、ずっと相手を否定するときもある。こっちが部下の時は、ずっと否定される。報酬とかボーナスとか部門の総額が決まっていて、評価成績でそれを取り分けるから全員の希望を叶えることができないのです。
そんな議論を延々半日も一日もしたりする。徒労としか言いようがない。なんの生産性もない。お互いが疲れて、嫌な気持ちになるだけです。
ところで、海外で:
それは私のジョブディスクリプションには書いていない。私はやらない。
と言われて、よく読むとビミョーに書いてなくて(書き方が悪い)、それで苦労することがありました。翌年の改訂版にちゃんと盛り込もうとすると...
ジョブのこの部分が拡大された。給料を上げろ。昇進させろ
全くもー、です。
ジョブディスクリプション、業務記述書って日本の職場文化に合うのかな? 少なくとも:
・それ、オレの仕事じゃないですよ。記述書のどこに書いてあるんすか?
・ワタシの職務に追加ですね。で、いくら月給は上がりますか?
そういうことはフツーに言える文化ではないからな、日本は。
50代も後半のこの歳になってくると、あんまりギスギス・きちきちしないでいいんじゃないかって気がしますけどね。
仲良くやろうよ。
©️ 朽木鴻次郎
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