〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

AIと人間思考の共進化、道具はもう二度と手放せない

人類の歴史は、新しい技術とその活用を通じて、常に変化と進化を続けてきた。生成型AIも、その最新の一部である。しかし、AIが人間の思考力を低下させるのではないかと、まーみなさん、よういわはるわ。

歴史は繰り返す。なぜか? みんな歴史を忘れるからである。

昔言われたよ。
『ワープロで最初から文章を作るなんて! ワープロは清書に使うものだ!』
『机の上にコンピュータ(SE30でした)...? そんなんがなきゃ、仕事ができないの、君は?』

人類の進化の歴史を見ると、道具や技術の発展が中心的な役割を果たしてきた。石器時代には、石を使った道具が人間の生活を支え、人間の手には及ばない作業を可能にした。紀元前の農耕革命では、農具の発展により食料生産が効率化され、定住生活が始まった。稲作定住〜〜〜いぇい!

科学の発展もまた、人類の進化に大きく寄与してきた。例えば、17世紀の望遠鏡の発明は、天体観測を革命的に進化させ、科学的な宇宙観の確立に寄与した。19世紀の蒸気機関の登場は産業革命を引き起こし、人類の生産性と移動能力を飛躍的に向上させた。

20世紀に入ると、コンピュータの登場が情報処理能力を飛躍させ、インターネットは世界中の情報と人々を繋げた。これらの技術は人類の知識、コミュニケーション、創造性を拡大し、新たな可能性を切り開いてきた。

みんななぜ、生物としての「ヒト」の能力を超えた力を得たことを言わないのだろう。そしてその代償として失われた視力5.0のことを。

ん? もっとあるな。なぜみんな、「核兵器」のことを言わないのだろう?ゲンコツで殴り合うだけだった闘争が、棍棒、青銅の剣、火縄銃、そして、ボタンを押すだけでで、あっという間の.... マクナマラみたいなナマクラでも人を大量にこ〇せる世界だ。この自由な現代は。

核は平気か?ぼくはいやだなあ。

人類の進歩。それは、生物としての「ヒト」の能力、視力、体力、筋力などと引き換えに得られたものではなかったか?

 

生成型AIは、情報の整理、文章の生成、解決策の提案など、多岐にわたるタスクで人間を支援する。これにより、人間はより高度な創造的な活動に集中し、AIと協力して新しい価値を生み出すことができるのではなかろうか?
ゼロから完成させるのではなく、ゼロから1へ至るきっかけを人間が与え(コメント/質問/プロンプト)、1~90までをAIに任せ、最後に残った10は人間が磨き上げるのである。さいごの残りは、「9」だろうって?細かいことは気にすんなよ。

生成型AIの普及に伴い、著作権侵害の問題が浮上している。しかし、この問題は著作権制度そのものの再考を促す。著作権や特許は、もともと創造性や革新を保護・奨励するためのものだが、時には新しいイノベーションを阻害する側面もある。

社会的なモラルや倫理の観点から、過度な保護が創造性や革新を阻害しないよう、柔軟なアプローチが求められる。著作権や特許の制度自体も、時代とともに進化し、新しい技術や社会のニーズに適応する必要がある。

考えてもみて欲しい。当時著作権を声高に主張する歌人がいたとしたら、新古今は生まれていただろうか?

 

人類の進化は、新しい道具や技術との関係性の変化を伴ってきた。生成型AIも、その一部である。AIと共に学び、成長し、未来を形作っていくために、私たちは新しい時代の波に乗るべきである。時代の流れは止められない。すでにはじまっているのである。手にした技術とテクノロジーはもうそれなしにはいられないのだ。(疑うものは米軍が投下した原子爆弾とその後、核が人体を蝕む悪性の癌のように拡大した現在の世界情勢をもう一度考えてみるがいい。)

古いSF映画に例えるなら、人類は道具としての「骨」を発見し、それを使うというテクノロジーを発明したのだ。貝殻を「とっても価値があるんだよ!」と人を騙した詐欺師はものすごいビジネスモデルの発明者だったんだろうなあ。

数万年前のその時から進む方向は一つである。

テクノロジーを活用しつづけること、自転車を漕ぎつつけること、それが、ぼくたちにとっての最善の道である。それしか道はないのかもしれない。

最善?それは誰にもわかない。
古いSFでも読み返してみたらどうですか?

©️朽木鴻次郎

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