「スターリンの将軍 ジューコフ」ジェフリー・ロバーツ 白水社 2013年*1を読みました。
実におもしろい。1950年代後半から失脚していたジューコフは1969年に自らの回顧録を出版して名誉を回復する。その回顧録はソビエト共産党からの指示などでもとの原稿から何か所も修正が施されたものだったらしいです。未読です。(Kindleみたら「完全版」とうたった修正前の原稿に基づく回顧録の和訳があった。)
ともかく、回顧録だけに頼らない取材と調査に基づき、ソ連/スターリンなどを専門に研究するアイルランドの歴史家で大学教授がジューコフについて書いた本です*2。
波乱万丈でドラマのような人生だ。とりわけ、青年期からノモンハンで歴史デビューを果たす頃がやはり一番おもしろい。男が少年から何者かになっていく過程だからなのかもしれないですね*3。
ぼくの関心の一つは、第二次ノモンハン事件後、ジューコフはどのように批判をかわしたのか、シュテルン*4ではなくジューコフが「戦勝」の名誉をなぜ最終的には手にしたのか、スターリンはなぜジューコフを粛清しなかったのかということだった。
しかし本書ではノモンハン事件への評価として従前の「ソ連/モンゴル軍の圧勝、装備の劣った関東軍の惨敗」を前提にソ連/モンゴル側の被った損害には触れていない*5。従って、これらの疑問には答えられてはいない。ちょっと残念でしたね。今、ロバーツ先生に会うことができるならその点のお考えを聞いてみたいです。*6*7
貧しく生まれた意志も身体も強い頭のいい努力家の一人の男が歴史の追い風を受けたり時代の乱気流に翻弄されながらも生き抜いて行くんです。
ロマンスありの、家族愛あり〜の、山あり谷あり、敵あり味方ありので、大河ドラマの主人公になってもおかしくない人ですよ。
スターリン時代に失脚し、名誉回復するもののフルシチョフ時代にまた失脚する。いずれも同じ、自分の栄誉を無邪気すぎるほどに受け入れ享受し、自分の自尊心に素直に従ったあげく、指導者から嫉妬され、地位を脅かすものであると疑われて失脚する。要するに政治に疎く、脇が甘かった。そんな男の一生が面白くないはずがない。
晩年のジューコフが若いころ過酷な指揮官だったことを振り返って残した言葉が印象に残ります。
わたしは人間の弱さがよくわかっていなかった
最後まで自分の強さを信じて諒としている。
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ノモンハン事件についてはこちらもご覧ください。
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*1:"Staling's General" Geoffrey Roberts 2012.
*2:ロバーツ教授によると回顧録にはかなーり「盛ってる」箇所もあるし、自分の責任を回避したり政敵を貶める箇所も散見どころかたくさんあるそうな。一方でスターリンの死後「自分は悪くなかった」と言いつのるソ連指導者たちも多かった中、当時の戦争/政治判断の責任の一端を(言葉を選んではいるものの)、ジューコフは正直に認めている部分もあるらしい。爺さん、やるな!
*3:「坂の上の雲」でも秋山兄弟の青年期までが一番おもしろい。
*4:本書では「シテルン」。ノモンハンではジューコフの形式的上官。
*5:特にp.70 「ソ連の戦車と装甲車はまたたく間に、日本軍の歩兵や砲兵を蹴散らした」
*6:とはいえ敵のナチスドイツを上回る損害を出しながら、最終的にはヒトラーを滅ぼして対独戦に勝利するんだから、ノモンハン事件はジューコフに生涯つきまとう栄光の始まりではあったものの、規模から考えたらまさに辺境の些事とロバーツ先生は考えたのかもしれないな。ロシアモンゴル軍の被害数はもっと多かったって?それがどうしたのだ、日本軍は戦いをやめて逃げて行ったじゃないか?と。
*7:ちなみに「ソ連軍は戦争中に15万8000人もの自国兵士を(督戦のため)処刑した。数万人がいわゆる懲罰大隊に送り込まれた」p.347というから戦争というのは過酷なものですよ。いかんね。