八月というのは日本人にとって象徴的な月だ。
私はあの太平洋戦争で見せた日本の「無計画な勇気」、あれこそ人類の未来を切りひらくものだと
(水木しげる「ベーレンホイターの女」1970年。主人公と出会うドイツ人科学者のセリフ*1。)
なぜなんだろうと思う。どうしてもう少しうまく、いや、「もうちょっとまし」なことができなかったんだろうか。
どっかがうまくいったら、別のところで大失敗しちゃうのかもしれないな。
それにしても、その大失敗のあげくに起こった結果が酷すぎる。
戦争なんだから被害者であると同時に加害者でもある。逆に言った方がいいのかな。加害者であると同時に被害者でもある。
同じか。
ぼくたちは8月15日を「終戦の日」「敗戦の日」として戦没者・戦争被害者を悼み、平和へのおもいを新たにするが、連合国側では、対日戦勝記念は別の日だと*2。以前それを知ったときにはちょっとびっくりもした。
自分のこと、自分たちだけのことばっかり考えてちゃいけないんだな。
とはいえ、日本人にとって8月15日は象徴的な日であることは確かだ。
NHK News Web 2018.8.6 「原爆の日 高校生が考える」 。元記事がもう削除されているので、ちょっと長いが関係個所を引用する。
- 平和への思いを外国人に伝える -平和に関する自分たちの思いを外国人に直接伝える取り組みを始めた高校生もいます。世界各国から訪れる外国人観光客が大幅に増加している広島市。中高一貫の公立学校、広島中等教育学校の生徒たちは、海外の人たちが広島の被爆についてどこまで知っているのか、ふだん英語を教わっている外国語の指導助手に尋ねました。<そのオーストラリアの方と高校生が車座で話をしている写真>これに対し、オーストラリアの指導助手は「広島と長崎への原爆投下については少ししか学びませんでした」。ジャマイカの指導助手は「私は広島、平和公園に来るまで戦争によって日本で何が起きていたか知りませんでしたし、アジアの歴史を勉強することもありませんでした」と答えました。そればかりか、オーストラリアの指導助手からは「皆さんは日本がオーストラリアを攻撃したことを知っていますか?。日本はオーストラリアにたくさんの爆弾を落としました」と逆に指摘されました。生徒たちは、広島に原爆が落とされたことが詳しく知られていないことに驚くとともに、自身も戦争について十分理解していないことに気づいたといいます。
*1:もちろん水木の怒りがこもった皮肉である。皮肉なのか?誰に対する?人類に対する怒りと皮肉か?
*2:日本との戦争が決着した日・終戦の日・敗戦の日については、日本は8.15ですが、それ以外にも日本が降伏文書に署名した日の9月2日とか祝賀会が開かれた翌3日とかがあるそうです。
*3:いや、是非を問うたら「非」に決まってるが。
*4:相手のあることだから計画の変更・見直しは常に付いて回る。けれどもそもそも「その先」を考えていなかったとしたら...?考えても考えられないものだから考えなかったのだとしたら?考えてはいたがその場や状況に引きずられて場当たり・なし崩しに計画を変更してしまっていたとしたら無計画も同じことでは?
*5:写真上:左は復刻された陸軍の「統帥綱領」まあ陸軍さんの高級教科書ですね。真ん中のキンドルは浅田次郎の「終わらない夏」-占守島の戦闘を主題にした小説。右のプラモの戦車は陸軍のチハこと97式戦車旧砲塔型。写真中は上野公園の彰義隊の碑。写真下は同じく上野公園の小松宮彰仁親王像。上野公園は8.15に訪問しました。実に素晴らしく晴れて暑い夏の平和な日だったよ。