〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

そりゃー怖かったんだろうな

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コージロー、怖かったわ、本当にあのときは怖かったの。

 

1980年代の半ばにぼくは北カリフォルニアにいた。ホームステイ先のおばあさまが当時60代。日米の戦争が始まった頃、彼女はまだ20代だったと推定される。もちろん女性に年齢を聞くことなどはしないよ。メアリー・エミントンさんという可愛らしい素敵な女性でした。

 

彼女が何かのおりにぼくを太平洋沿岸へドライブに連れて行ってくれて、大戦中の海軍艦艇がモスボールのように繋がれているところとか、コンクリートで丸く固められたトーチカが廃墟となっていくつもいくつも連なっていまだに海をニラんでいるのを示して「日本軍が攻めてくるかと本当に怖かったのよ」と真珠湾攻撃直後のことを思い出して、日本人のぼくにそう言ったのだ。

だってハワイが攻撃されたでしょう。次は絶対ウェスト・コーストだって思ったわ。

 

事実、日本海軍は潜水艦で北米太平洋沿岸近くまで進出し、作戦を実行していたらしい。しかし、ぼくはそんなことは全然知らなかったので、びっくりした。

米国本土に侵攻するなど、 21世紀も20年近くが経ってしまった「後知恵」で考えると狂気の沙汰だが、英米との開戦直後の帝国陸海軍の連戦連勝の戦果に文字通り日本中が舞い上がってしまっていたし、ハワイはやられるわ、ヒリッピンはとられるわで、米国民には現実の恐怖と怒りが存在していたのだ。

メアリーさんから、当時のそんな「日本軍に対する恐怖」を聞かされたときは驚いたよ。

今ではその「怖い」という気持ちは良くわかる。

 

そういえば、イーストウッドの「父親たちの星条旗 (2006年)」を観たときにもびっくりした。映画によると戦争末期にはアメリカにも厭戦感が広がって、戦争継続のための国債(戦時国債)が思ったように集まらなかったという。そんな厭戦世論をぶっ飛ばす為にも硫黄島のヒーローが、言葉は悪いが作られて利用されたさまが描かれていたからだ。

 

もひとつつけ加える。戦前に発表されたハードボイルド小説で西海岸を舞台にしたものを読むと、日本軍の空襲を警戒するために灯火管制されている描写が出ていて、それにもびっくりしたものです。*1

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「物量に負けただけで本当は日本軍は勝てたはずだし強かった」とか、そんなことを言いたいのではないのです。もちろん「到底勝てない無謀な戦争を始めたのは愚かだ」と言いたいわけでもない。みんないろんな事情があったんだろう。

 

とにかくね、自分のことだけ考えてちゃダメだ。相手のことをよく知らなきゃいけないし、変化する状況と時間の中で、相手が何を感じてどう思っているかをしっかりとリアルに想像しないといけないよな。

 

©️ 朽木鴻次郎
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*1:「ラム&バーサ」シリーズです。