ファインモールド社の「二式砲戦車」のプラモデル。
二式砲戦車は敗戦色濃くなった時期に帝国陸軍が既存の戦車に大きな大砲を乗せる目的でつくられたもの。
付属でついているフィギュアは、モンペ姿の女学生。
後ろ姿に、おさげに結った髪。
++++++++++
ぼくの母親は、昭和三年の辰年で東京の生まれ。女学生の頃はこんな姿だったのかもしれない。母方の伯父にきいたその頃の母は、目だけぎょろぎょろ、ガリガリに痩せていた小柄な少女で、色はマックロケだったらしい。戦争のせいだけじゃない、貧乏もあってろくなものも食べれなかったらしいしさ。(ちなみに、母はすごい美人です。)
学徒出陣の式典の日、大雨の神宮外苑に女学校の全校生徒が駆り出され、翌日は熱を出して寝込んでしまったそうだ。女学校と言ったって勤労奉仕ばっかりで、空襲の翌朝は黒こげになった焼死体をまたいで工場に通ったと。そんなのは「あったりまえのこと」だった時代なんだとなんども聞かされたよ。
あるとき、敵の戦闘機が飛んできたと思うと、女学生の母を目掛けて機銃掃射してきた。でっかい機銃弾が一発でもあたったら、身体中がバラバラに砕けてしまっていただろう。
「あいつらひどいのよ、おさげでこんなちいちゃい兵隊がいるわきゃないじゃないの!遊びで撃ってんのよ」
そうは言ってもさ、竹槍で米兵に見立てた藁人形への刺突訓練もしてたんだから(教練の授業とはいえ)、向こうだって落っこったらそのチビの女学生に突き殺されるかもしれない。お互い様、と、まで言っちゃあなんだが、そんな気もする。
「敵のさあ、まっ黒い飛行機がね、ブーンと飛んできたと思ったら、下からビィィィィンっと一直線、味方の飛行機がキラキラっと上がってきたのよ。みんなで『ガンバレ!ガンバレ!』って応援してたの。二機の飛行機がもつれるようにくるくる、くるくるっと回ったと思ったら、一機がパッと火を吹いてキリキリキリキリって落ちてったの。『やった!万歳、バイザーイ!』ってあたしたち、大騒ぎよ。そしたらね...」
「落ちてくの、日の丸よ! あああああ〜....」
「ほんと、戦争はいやよ」
小さい頃、ゼロ戦だか、隼だかのプラモデルを作っていて、仕上げに日の丸のマークを貼ってるぼくの脇で、そんな話をしていました。
「ねえ、日本が勝ってたら、どうなってた?」
子供のぼくはそう聞いたことがある。
「そうね、最後の頃は軍人がえばっちゃってさ、やな感じよ」
©️ 朽木鴻次郎
~~~~~~~~~~~~~
HPはこちらです。
~~~~~~~~~~~~~