録画だけして観ていなかったドキュメンタリー映画「The Fog of War マクナマラ元米国務長官の告白」を観ました。原題は「The Fog of War: Eleven Lessons from the Life of Robert S. McNamara (五里霧中の戦い:ロバート S. マクナマラの人生における教訓11ヶ条)」。2004年日本公開。アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞したものとのこと。
先日、ペンタゴン・ペーパーを観て、マクマナラのことを「案外純粋なココロネを持ったエリートだったのかも知れない」って思った。
ところが、この「Fog of War」を観て、ちょっと考え直しました。
この映画に出演?したマクナマラは当時83歳。実によくしゃべる老人でした。対日戦争、特に終戦末期の東京大空襲をはじめとする日本の主要都市に対する無差別爆撃に対する反意や反省など、実に多弁です。観ていて胸が悪くなるほど。米陸軍航空隊司令部は*1、対日無差別爆撃をより効果的にするために、B-29の高性能が可能としたはずの7.000m (23,000f)からの爆撃高度を1,500m (5,000f)に下げた。B-29の性能からすれば、より安全な高高度である7,000mでも十分な爆撃精度が期待できたにも関わらずである。
高度が下がれば高射砲に当たる可能性や日本軍の迎撃機により撃墜される率も上がる。米軍自身の被害がより大きくなるのである。当然「高度を上げるべき」という爆撃機搭乗員の現場からの意見具申もあったものの、それを司令部は無視した。マクナマラ曰く、全て上官であるカーチス・ルメイの判断で、マクナマラ自身はルメイの判断には反対していたと。そして曰く:
「米国が負けていたら、ルメイも私(マクナマラ)も戦争犯罪人だ」、と。
そんな老人の告白は全くなんの意味もない。
その後のインドシナ戦争からベトナム戦争についての米国の関与についても、よくしゃべることしゃべること。もちろんこれは彼の「告白」の記録なのですからしゃべるんでしょう、饒舌に。
有名な日本の歴史小説家がかつて旧日本軍の高級参謀にインタビューをしたときの感想を思い出しました。原本がないので正確ではないですが、「私はこんなに饒舌にしかも全く意味のないことを饒舌に喋る人間を見たことがない」、と。
たくさんたくさん語って、最後に「ベトナム戦争についての自分の責任は?」と問われれば「それには答えない。語っても語らなくても、非難されるしそれがまた大きな議論を呼ぶからだ」と口を閉ざす。彼が戦争屋と非難するルメイも対日攻撃政策や自らの米軍パイロットを不必要な危険にさらしたこと(実際にB-29は相当数撃墜・損傷されている*2)について口を閉ざしていたのは同じこと。
「Fog of War」とは「戦争では何が起こるかわからない。作戦通りになど行かない。五里霧中、戦争は手探りで進めざるを得ない」という成句らしいです。コンバットシミュレーションゲームのタイトルにもなっている。これまたマクナマラの言い訳に思えてならない。
この映画はドキュメンタリーなので、戦争当時の実写も多用されています。一つ疑問に思ったこと。第二次対戦中、米国は「世界の工場」として連合国に貸与する武器を大量に生産するのです。
米軍主力戦車のM-4タンクが大量生産されている実写がありました。
しかし、それに続いての実写が:
ソビエト・ロシアのT-34*3が工場で大量生産されている実写フィルムでした。
アメリカでロシアのタンクは作らないだろう!
別に「アメリカの工場です」というキャプションがついているわけではないので、嘘ではないけれども、前後の文脈からロシアの戦車工場の映像はそぐわない。これは勘違いか実写の入れ間違えではないかな。アカデミードキュメンタリー映画賞を受賞しているそうですが、細部に疑問を感じると映画全体も信じられなくなる。
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クサしてばっかりじゃなんだから、一個だけ秀逸なところを。
マクマナラが若い頃、好きになった女の子に結婚のプロポーズしてOKを貰う。のちにマクナマラ夫人マーガレットさんです。若きマーガレットはマクマナラにこう聞いた。家族に婚約の承諾を貰うためだ。
「ねえ、ボブ、あなたのミドルネームの "S" をフルで教えて」
「ストレンジだよ」
「変な名前(ストレンジ)でも気にしないわよ、教えて」
「違うんだ、『ストレンジ』ってのがミドルネームなんだよ!」
観ていて大ウケしちゃいました。語り口もすごく上手。
多分若い頃から何度も何度も繰り返したジョークなんだろうな。マクナマラがアジアに降らせた焼夷弾*4の数と同じくらい繰り返したんだろう。
えーと、11ヶ条の教訓ですか? 多すぎるよ、どーでもいい。
© 朽木鴻次郎
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