〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

曖昧さに耐える能力はシニア世代や定年後にこそ大切かも

医師で心理学者の和田秀樹さんの著書「シン・老人力」を読みました。そこでは、年齢を重ねると「曖昧さに耐える能力」が衰えてくると指摘されていました。特にテレビのコメンテーターが時事問題について断定的に語ると、それを容易に信じてしまう傾向があるという懸念を述べています。その結果、自分の思考能力が衰えてしまうと。

どうやら人類の本能は「曖昧さ」をそのままにすることに対する抵抗感が強いらしく、自分や他人が誰かが提示する「正解」に素早く飛びついてしまう傾向があるらしい。
実は、大学時代に恩師から:

「朽木君、君はすぐに正解がわかってしまうからダメなんだ」

と言われたことがあります。私の思考の浅さを指摘してくださったのだと思いますが、この言葉は卒業して40年近く経った今でも忘れることはできません。先生は、物事を十分に考えずに判断する私の傾向を危険視していたのでしょう。

近年、この「正解を求める」傾向が社会全体で強まっているとのではないかと感じています。情報というものが、この十数年間で大きく変化していることと関連しているのでしょう。さまざまな領域で「正解」をすぐに求める傾向つよまってきているのではないか。

 

「何が正しいか」は人それぞれで、鬼束ちひろさんが歌ったように、正義や真実、そして現実はこれだと主張しても、何にもならないことはあるのです。それは人によって、正義や真実、そして現実が大きく異なるためなんでしょう。

さらに、直ちに正解を求めてはならない領域も存在します。

・芸術と文化: 美術、音楽、映画、文学など、芸術の感じ方や評価は個々の視点や感受性に大きく依存します。それでもある種の映画の「正しい理解や解釈」を求める人は多いですが…

・哲学や倫理: 多くの哲学的な問いや倫理的な議論は、深く考え、対話し、理解することを必要とします。

・人間関係: 人間関係に「正解」は存在しません。対人関係を円滑にするためには、相手の感情や状況を理解し、配慮することが求められるでしょう。

時として「曖昧さ」を残したままにしておかないといけないのです。それは本能に反することで、難しいのかもしれませんが、曖昧さに耐える努力と能力は大切なのではないかと思います。

正解のない曖昧な世界。これは、老後やシニア生活でも同じです。どのように生きるべきかという「正解」は人それぞれで、自分自身で考えるべき問題です。「シニア世代の生き方」「定年後・老後の過ごし方」もまた、すぐに正解を求めたり、正解を教える人に飛びつくべき問題ではないでしょうね。

動画にしています。是非ともご覧ください。
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©️朽木鴻次郎 プロダクション黄朽葉

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