正解を見つけることが仕事ではない。そもそも正解はない。正しいと「思われる」方向はあるかも知れないが、ある程度のはばを持っている。その中で、「A」を選ぶのか「B」を選ぶのか、それとも「C」で行こうと決めるのか。そして「B」を選んで実行して、不都合な結果がなかったとしよう。むしろいい結果が得られたとする。
しかし、だ。「B」が正解だったのか?
仮に「B」を選んだ場合、他の選択肢、「A」よりもより良い結果が生じたのか、本当は「C」の方が、もっと良かったのかどうか、検証するすべはない。
なぜなら、科学者たちは21世紀になった現在でもタイムマシンを発明するに至っていないからです。
研修のセミナーや懇話会などで若手のビジネスパーソンと話をするときにこう聞いたりすることがある。
・違法ではないものの、倫理的道徳的、あるいは自分の職業観に照らすと問題があると思われる業務を命じられた場合、君はどうする?
例えばある種の密告であったり、タチの悪い営業方法だったり、他社との類似製品の開発製造だったり*1を求められたりするケースを例にあげる*2。
すると、いろいろな答えが返ってきて実に面白いのだが、大抵「正解はなんですか?」と訊かれます。ごもっとも。
そんなとき、上に述べたように、間違っていない方向性の中から「A」を選ぶのか「B」を選ぶのか、それとも「C」で行こうと決めるのか。それは個人の人間性の問題で、その人が;
・「仕事とは何なのか」
・「自分は『働くこと』をどう考えて、どう立ち向かっていくのか」
それを考えることなんだと話す。
そう話したときの反応も面白い。納得してくれる人もいるし、はぐらかされたと鼻白む人もいる。キョトンとする人もいるし、「何だよフザケンナよ!」みたいな表情をする人もいる。
いわゆる「正解のない問題」、言い換えると「解の検証が不可能な問題 」に正面から立ち向かうと時間がかかるし、答えが出せないこともあるのですね。
実に生産性が低いし効率も悪い。
「正解」らしきものがパッと浮かんできて、それに飛びつくということは、実は考えることをやめてしまって、手を抜いている場合もある。正解らしきものがまとめられているマニュアル通りにやってみる。パパパっと物事が進む。それでいいし、それが求められている局面は否定しないけどさ。
てな偉そうなことをのたまわっちゃってるワタクシですが、実はね...
クチキくん、君はすぐに答えが分かってしまうだろう? だからダメなんだ。考えるということをしないと。
30年以上前、大学で恩師から頂いた珠玉の言葉です。ありがとうございます。
p.s. ブログを書いてると自分の考えの傾向が分かって面白い。「正解」についてはなんどもまとめているんですね。同じようなことを言っています。
© 朽木鴻次郎
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