〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

コミュニケーションについて

映画「シン・ゴジラ」では登場人物たちがみな早口でとてもよくしゃべる。

主要な登場人物は政治家や政府高官、上級官僚で頭のいい人たちなのだ。
「頭のいい人って、早口でたくさんしゃべるから」
映画監督の庵野さんは、俳優さんにそう指示したそうな。

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コミュニケーションのポイントは、「話す」ことではなく、「聴く」こと。傾聴にある。「聴く」と「聞く」は違うんですよ。

よく言われることだが、そんなことはどうでもいい。

 

「〇〇とXXとは、みなさん混同してますが、実は違うんですよ」なんていうアプローチはたいていインチキだ。

 

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要は相手にも話をさせて、それをともかくは受け入れることは大切だ、それだけのことでしょ。「聞く」でも「聴く」でも同じこと。一方的にこちらから話して終わり、ではダメよ。そういうことですね。

 

今、ぼくは、「話す」と言った。「聞く(聴く)」とも言った。これは手段である。本質を見誤ってはならない。コミュニケーションって手段なんだよ。

 

コミュニケーションとは、交換すること。交換して、何かの結果を生じさせることである。*1 「話す」「聞く(聴く)」とは交換するための手段だ。

それではなにを交換するのか?ハードな意味であれば「情報」だろうし、ソフトな意味では「感情」や「イメージ」だろう。
ビジネスであれば「意図」であったり、「意思」であることもある。「指示」もそうかな。

 

コミュニケーションを説明するときに、任天堂の岩田さんは、背景と文脈という言葉を使った。

コミュニケーションというのは「背景と文脈」を共有することなんですよ。

 

「背景」とは現在の状況であり、「文脈」とはその状況に至った経緯である。

 

岩田さんの言葉に僭越ながら付け加えるとしたら、背景と文脈を共有することで、これからの行動や認識、意思の方向性と強さ(ベクトル)をも共有することがコミュニケーションといえようか。その結果とは、従来持っていたものと同じこともあるだろうし、変質していることもあるだろう。

 

そう考えると、コミュニケーションというのは、これからの行動や認識、意思の方向性と強さの確認や変質を生むための手段とも言える。

 

手段と目的/目標を混同してはならないのだ、が、しかしですね〜。

 

仲間うちでのおしゃべりが楽しいように、コミュニケーションってそのもので楽しいからなあ。
買い物って必要なものやサービスを手に入れる手段であるが、それ自体が楽しいからね。*2 

 

手段のつもりだったのに、それがとても楽しい目的になっているのは幸せなことだな。*3

 

© 朽木鴻次郎
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*1:たとえば愛し合っている二人の行為は究極のコミュニケーションだ。「愛している」という感情や意思を交換して、さらに強い愛情を生じさせるからである。愛に言葉はいらないのよ。

*2:「どうぞお買い物をお楽しみください」ってスーパーでもテレビショッピングでもよく言われるよね。

*3:本稿は岩田さんから教わったことの記憶だけではなくて、鴻上尚史氏の著作「コミュニケイションのレッスン」大和書房2013年(だいわ文庫2016年)も参考にしています。