任天堂で学んだこと, 娯楽の世界は天国か地獄 の検索結果:
24.成功の秘訣?経営判断の決め手? この一連のコラムの最初(その1)に、任天堂に「成功の秘訣」はあるのか、と問いかけ、ここまで長々とお話ししてきました。そして最後に戻ってくるのは、やはり山内相談役の「成功の秘訣などない」という言葉です。任天堂の強さを挙げようと思えば、いくらでも挙げられます。娯楽に集中している。独創性を大切にしている。優れた開発者がいる。強いキャラクターを持っている。ハードとソフトの両方を作っている。製造や品質管理に力がある。財務が健全である。失敗しても、な…
20.任天堂の「独創」と市場調査 Nintendo Switchについては、ここで詳しい製品史をお話しするつもりはありません。ここからは、個々の製品ではなく、任天堂で重視されてきた「独創」についてお話しします。 任天堂を表す言葉として、よく使われるものの一つが「独創」です。任天堂には、経営理念を額に入れて掲げ、社員全員で唱和するような文化はありませんでした。少なくとも、ぼくが勤めていた頃はそうでした。ただし、「独創」という言葉だけは、社内で目に見える形になっていました。任天堂…
花札パネル。ここに本物の花札を糊付けしてパネルにするもの。 18.任天堂は娯楽の会社 ここまで、花札から玩具、電子玩具、業務用ゲーム、家庭用ゲーム機へと続く任天堂の歴史を振り返ってきました。任天堂は一般に、ビデオゲーム会社と呼ばれています。もちろん間違いではありません。しかし、任天堂は、ゲーム機やゲームソフトを作ることだけを目的としてきた会社ではありません。 実際、「一般品」と呼ばれる花札、株札、百人一首、カルタ、トランプ、麻雀用品――現在は麻雀マットが中心ですが、かつては「…
任天堂花札のごく初期の包装紙 15.三輪車でスポーツカーと戦う? 2005年は、ニンテンドーDSの快進撃が続きました。岩田社長がE3で発表した試作機からデザインを大きく変え、2004年12月に発売された初代のニンテンドーDS。世間で言われていたほど格好の悪いものではありませんでした。しかし、二つの画面を折りたたむヒンジ部分が弱いという問題がありました。それだけではありません。 「そもそも、もっと格好のよいデザインで世の中へ送り出したかった」 という思いが、開発部門にはあったよ…
11.山内相談役の後継者、岩田社長(岩田聡氏) 2002年、岩田聡氏が任天堂の社長に就任しました。 ところが、ぼくは任天堂への転職を決めたとき、岩田さんという方を、ほとんど、というより、まったく存じ上げていませんでした。 法務という分野について、自分にはそれなりの経験も能力もあると思っていたのでしょう。いささか自信過剰というか、傲慢だったのかもしれません。転職先の社長がどんな人なのか、きちんと調べようともしなかったのですから。転職が決まってから分かったのは、岩田社長がずいぶん…
9.業務用ゲームから家庭用娯楽機への集中 ゲーム&ウオッチによって、任天堂の売上は大きく伸びました。以前から続いた借金も全部返済できたそうです。以後、任天堂では無借金経営が続いています。バブルの時代、投資の誘いも全部蹴飛ばした結果、京都銀行以外のすべての銀行から、「任天堂の財務はアホや」と陰口を叩かれたそうです。どっちが「アホ」だったか、いまではもう明らかですね。 さらに、ファミリーコンピュータでは、後発メーカーであったにもかかわらず、競合他社を蹴散らすほどの爆発的な成功を収…
5.玩具から電子玩具へ 多角化を進める一方で、任天堂は、本業である花札・トランプの事業も、もちろん続けていました。花札やトランプは、現在も製造・販売しています。さらに、囲碁、将棋、麻雀牌、麻雀マットなども扱っていました。任天堂では、こうした商品を今でも「一般品」と呼んでいます。 その一方で、さまざまな玩具も開発し、発売しました。 本当に綿あめを作ることができる綿あめ機、紙で自動車や飛行機などの模型を作る工作キット、カラフルな組み立て式ブロックなど、実にいろいろな商品がありまし…
…と思います。 ぼくが任天堂で学んだことをお話しする前に、まずは少し、任天堂の歴史から始めることをお許しください。1.任天堂に「成功の秘訣」はあるのか 任天堂は、1889年、京都で花札の製造販売業として創業しました。その後、トランプ、玩具、電子玩具、業務用ゲーム、家庭用ゲーム機へと事業を変化させ、現在では世界を代表する娯楽企業となっています。その歴史の華やかな部分だけを振り返れば、任天堂は時代の変化を的確に予測し、優れた経営戦略によって、次々に成長分野へ進出してきたかのような印…