AIの進展により、「(特に法務部門における)中堅・シニア層のマネジメント力や人間力、さらには対人関係能力が削がれるのではないか」という点を、私は繰り返し指摘しています。ただし、同じ問題意識は、必ずしもそれほど直裁的な言葉で語られているわけではありません。実際には、別の表現を用いながら、同様の事態が指摘されているのです。
たとえば、「中堅・シニアの能力が落ちた」「マネジメント力が弱くなった」とは言われずに、
・「判断力の空洞化」
・「管理職の思考停止」
・「中間管理職の無力化」
といった言い回しが用いられています。
言い換えれば、能力低下を真正面から指摘することを避けつつ、実質的には同じ現象を描写しているにすぎません。しかし私は、こうした婉曲表現にとどまらず、もう少し正面から語ったほうがよいのではないかと考えています。
興味深いのは、こうした問題意識がDXやAIの登場以前から、日本の経営論・組織論の中で繰り返し指摘されてきた点です。
たとえば、野中郁次郎名誉教授は、暗黙知や身体知の重要性を強調し、経験を通じて形成される判断力が、形式知偏重によって失われていく危険性を早い段階から警告してきました。暗黙知と形式知の循環とは、単に形式知(制度化、言語化、マニュアル化、見える化)を増やすことを意味するものではありません。むしろ、判断を「言語化・マニュアル化」した瞬間に、判断そのものが死んでしまうという問題意識が、その根底にあったのだと思います。この指摘は、AI時代のマネジメント劣化を先取りしていたものと見ることもできるでしょう。
また、楠木建教授は、企業戦略を理屈や理論で説明すること自体に強い疑問を呈してきました(これは私なりの理解です)。同教授は、説明可能性と経営判断の強さは別物であると繰り返し述べています。分析や合理性に依存すればするほど、最終局面で求められる胆力や覚悟が削がれていくという指摘は、AIがいわゆる『最適解』を提示する現在において、より切実な意味を帯びています。
現場や人材育成の文脈でも、同様の問題は以前から語られてきました。守島基博名誉教授は、人事制度とマネジメント力の分離を問題視し、管理職が「人を導く存在」ではなく、「制度を運用する担当者」へと変質していく危険性を指摘してきました。AIやHRテックの導入は、この傾向をさらに強めるものと考えられます。
DXやAIをめぐる最近の言説では、
・「DXで一番育たなくなるのは管理職」
・「現場を見ず、画面を見る管理職が増えた」
・「説明はできるが、決断できない人が増えた」
といった表現が目立ちます。ここでも「能力が削がれた」という言葉は避けられ、「役割が変わった」「環境が変わった」という表現に置き換えられています。
しかし実態は、環境変化の名を借りた成長機会の喪失であり、判断力や対人関係力が育たなくなっていることを、婉曲に表現しているにすぎません。
結局のところ、日本の経営論においては、DXやAIの導入以前から、「仕組み化」「見える化」「形式知偏重」による中間管理職の判断力低下は、繰り返し指摘されてきました。AIは新たな問題を生み出したというよりも、既存の構造的問題を一気に加速させ、露呈させた存在なのであると言えるでしょう。
©️ 朽木鴻次郎 プロダクション黄朽葉
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