〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

雲、流れゆく雲よ 〜 マレーシア鉱業所長 T-さんの思い出 

ぼくが20代でマレーシアに赴任していたときの鉱業所長は、T-さんという52-3歳の方でした。1980年代の後半のこと。当時の定年の55歳まであと数年、たたき上げのドリリング・エンジニアへの花道がマレーシア鉱業所のトップのポジションだったのかもしれません。

マレーシアでは陸上港区で石油探鉱を行っていました。毎週の操業週報を取りまとめて、ファクスで毎週東京に送るのがぼくの仕事の一つでした。最新の連絡手段が、当時テレックスにとってかわったファクシミリ。電子メールなんて想像もできない時代でした。

操業週報の「しめ」に所長所感を載せるのですが、ある週のこと、T-さんから貰った手書きの原稿を見てびっくり!

雲よ、流れゆく雲よ
お前はどこから来て
どこへきえていくのか

雲よ、おまえはさびしくはないのか
哀しくはないのか
はかなくはないのか
流れ、流れていく雲よ

正確ではないのですが、こんな内容の「ポエム」だったのです。通常の所長所感って:

今週の作業進捗遅延無きものの一層の緊張感を持ち操業に当たる...

とかの堅い内容だったのが、急にポエムになっちゃった!
 
そこで、まずはぼくより一回り年上、当時40代はじめのリエゾン・マネジャーに相談に行きました。
 
「コージロー、なんだこりゃ? おまえが原稿書いたのか?!」

違いますよ、T-さんの自筆でしょ。おれの字じゃないもの。
 
「...だよな。ちょっと話してくる」

 

いつもは開けっ放しの所長室のドアを閉めて数十分、リエゾン・マネジャーが苦笑しながら出てきました。
 
 「これでファクス出せ。出す前に本社の担当課長に電話一本入れとけ。こんなのが行きますからってな」
 ファクス原稿を見ると、ポエムはそのままですが、大きくバツ印が書かれていました。こんな感じ。

東京本社の担当課長に国際電話して説明したところ「......わかった。送れ」でホッとしました。
 
その日の仕事が終わって、宿泊先のクアラルンプール、ジャランサルタンイスマイルのリージェント・ホテル*1のバーでリエゾン・マネジャーがバーボンを飲みながら、ぼくに話してくれました。
 
「この所長所感をそのまま週報で送っちゃまずいですよ、ってずいぶん話したんだ。だけど『仕事人生をほとんど海外で石油掘削で過ごした自分の気持ちをどうしても本社に送りたい』っていうから、そんならバツつけて、って提案したら了解してくれたんだ」
 
電話したら本社の担当課長さんは「わかった」とは言ってくれましたが......
 
 「まあ、本社でも話題にはなるだろうな」

リエゾンマネジャーはグラスに向かって、そうつぶやいていました。

ところが実際にはそんなに話題にもならず、その後、ぼくたちは首都のKLからボルネオ島のミリに進駐し、そこでT-さんはもう数年過ごしたのち、55歳の定年間際に帰任して、すぐにご退職なさいました。
 
短気なもんだから、すぐカッ!となって怒るとすごくこわかったけど、基本的に面倒見のいい、ちょっとスケべで陽気な人情家でした。T-さんとはその後連絡も全く取り合ってはいませんが、ときどきこのエピソードを想い出しては、ご壮健でいらっしゃるといいなと思っています。

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©️朽木鴻次郎 プロダクション黄朽葉

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*1:今はパークロイヤル