〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

ぼくたちの社会生活は裁判ではない

f:id:tavigayninh:20190518072116j:plain

 

ハラスメント防止の研修セミナーで、セクハラやパワハラなどの話をしてると「線を引いてください」って言われることがある。「線」を示したらそのギリギリまでやるつもりなのですかって聞き返す。そもそも「線を引いてくれ」という質問そのものも問題だと思う。仮に線を引くにしても、裁判したら負けるレベルのこっから先は真っ黒になる線なのか、所属する企業として行為者を処分しなければならない「線」なのか、社会人として不適切な「線」なのか、人として恥ずかしいレベルの「線」なのか、それぞれで違うと思う。

 

しかもそれぞれの「線」と言うのは、行為者と被行為者との関係、行為の経緯や背景、具体的内容や場所、その頻度、行為者や被行為者の感情、周囲の者への影響、その組織の業務内容や文化、などなど、具体的事例の事実を多角的に検討した「結果」として引かれる線だったりする。

 

f:id:tavigayninh:20190518072139j:plain

 

たとえば、昨今話題の「就活生へのセクシャルハラスメント」だが、均等法を厳密に解釈すると、確かに「就活生」は労働者ではないし、「就活の話をする飲み屋」は職場ではないのかもしれない。しかし、法律の趣旨から考えれば、「就活生」や「飲み屋や飯屋での就活」もまた「労働者」や「職場」に準じて考えるべきだろう。裁判所や法曹の見解はともかく、企業としてはそう考えるべきだ。ぼくたちの社会生活は裁判ではないのだから*1

 

就活にOBとして関与している社員でも(関与していない社員ならなおさら)、就職活動に関連して、性的な対価を求めたり忖度させたり、性的な言動で不快感を就活生に与えたとしたら、それは不適切であって、法的にどうだとか、処分の対象になるかはまた別として、改めてもらわなければならないし、会社としては改めさせないといけない。

 

法的にどうだとか、処分の対象になるかはまた別として、改めなければいけない言動というものはある*2

 

だからこそ、研修セミナーで、ハラスメント事例の判例を示して、法律や政府の見解を示して、さらに人権侵害なんだというハラスメントの本質を話すんだけど、それでも「線を引いてくれないと!」って言われることがあった。

 

... ぼくとしても、もっと話し方を工夫改善しないといけないなと先日反省しました。

 

そうか!これをネタ、エピソードとして、セミナーの中で話せばいいのだなヽ(´▽`)/

 

ps. 均等法や育児介護法や今度のパワハラ防止法の立法など、法整備が進んでいくのは大賛成だし、もっと議論を深めて、不備と主張される部分は補強する方向で進んで欲しい。一方で、雇用や職場といった「仕事」の文脈でハラスメントが語られることには限界があるのではないかとも感じる。「仕事や職場での」と言う制限は外されるべきではないのか。

 

© 朽木鴻次郎
~~~~~~~~~~~~~ 

HPはこちらです。

kuchiki-office.hatenablog.com

~~~~~~~~~~~~~ 

*1:てか、ニュースになってるのはすでに性犯罪ですよ。

*2:自分の反省も込めてです。