〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

疲れた兵隊さんの童話

その兵隊さんはとても疲れていました。

戦争は長くとても長く続いたし、兵隊さんはだんだんだんだん歳をとってきたし、軍隊を追い出されたときに隊長さんはお金を少ししかくれませんでした。

うちに帰ろう...!

でも、兵隊さんが生まれてから軍隊に入るまで育った街には兵隊さんが知らない人たちが住んでいて知らない言葉を話していました。途方にくれた兵隊さんが森の中をトボトボと歩いていると、なんだかきいたことのない音が聴こえました。

誰かがバイオリンを弾いていたのです。

ところが、兵隊さんは太鼓の合図で鉄砲にまっ黒い火薬と鈍く光るナマリ色の弾丸を詰めたことはあっても、鼓笛隊のマーチで行軍したことはあっても、ラッパの号令で腰に吊るしたサーベルを引き抜いて敵の陣地に突撃をしたことはあっても、こんなに優しく楽しく悲しく、神様だか天使だか悪魔だかのすべすべしているけれどとてもつめたい手に、心がぎゅうっと握りつぶされてしまうような「音楽」というものを、年をとってしまった今のいままで聴いたことがなかったので、一体全体なにごとだろう? とただただ不思議に、ただただ苦しく思うだけでした。

そのうちに...... 音楽に合わせて、兵隊さん身体が勝手に動き出しはじめました。手が足が、その不思議な音に合わせて動き出して止まらなくなってしまったのです。 そうして、きこえる楽しい音を頼りにわれ知らずにその年老いた兵隊さんは森の中の奥へ奥へと入っていきました。

ふと気がつくと、こんこんと湧き出る泉のほとりに質素だけれどもきれいな小屋があって、そこには今まで兵隊さんが見たことも無いような......?

 

©️朽木鴻次郎 プロダクション黄朽葉

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