〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

退職時にわかる変な人

     

いまからちょうど6年前、2018年2月半ばに会社をやめたわけです。もちろん上司や人事、仕事上関係が深い人たちには事前にちゃんと話を通しておいたのは当然のこと。

その後、順繰りと社内の関係者に挨拶してまわりました。

大抵の反応は、「辞めちゃうんですか〜!」でした。定年の60歳をちょっとフライングして退職したもんですから。もちろん何も言わない人もいましたよ。もしかしたらぼくが辞めることを知らなかったのかもしれない。

その中で、一人だけ、ちょっと年上なんですけど、かつて部下だった男性。役職定年後も雇用継続で働いている人でした。それは人それぞれだと思っています。たまたま、終業後の帰宅時間に出口で出くわすと、すすすっとすり寄ってきて;

「ええ?聞いたよ? 辞めるんだって? いいなぁ、オレも辞めたいよ。なんで辞めるの? なんかしでかした?」

ニヤニヤ笑いながらこう言ってきました。妙な好奇心があったんでしょうね。彼と話をするときは、当然ですが彼もぼくもずっと一応敬語・丁寧語のデスマス調で話していたんです。それが、そのとき、急に、いわゆる「タメ口」ですよ。いや、それよりももっと雑な話し方でした。

- いや、ぼくのことは気にしないでください。

そう答えたんです。ぼくも彼の物言いにちょっとカチンときたしね。そしたら、彼は一瞬びっくりして、足早に立ち去ったんですが、よほどぼくの反応が気に入らなかったらしく、わざわざ戻ってきて、こう大声で叫んだんです。路上ですよ。

「気になんてしてないよ! あんたのことを気にするわけがないじゃないか。全然気にしてないんだよ!」

周りを歩いてる人たちは何事だろうとびっくりしてました。相当な大声でしたから。ケンカでも始まったと思われたかもしれない。

それ以上関わるのがイヤだから、ぼくは回れ右して、その場を立ち去りました。

いろんな人がいるから、これからはもっとこういう人に会うんだから、注意しなきゃなって、とっても勉強になりましたヽ(´▽`)/ *1

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*1:そうだ、あともう一人「送別会やらなきゃ、やらなきゃ!」って大騒ぎして、全然そんな動きはしないし、退職日に挨拶に行ったら「蓄財も十分になさったんでしょうから...(笑)」って、あんた、人格がわかるね〜。この人に送別会やってもらわなくて良かったよ。

財産を使いきれって!? あぶないあぶない

私たちが生活を営む上で、資産の管理は重要な役割を担うことは間違いないです。もちろん。特に定年退職を迎えるシニア世代にとって、資産の使い方は人生の質を左右する大きな問題でしょう。これも当然のこと。

でも、最近、一部の専門家といわれるファイナンシャルプランナーをはじめとして、「老後は資産を使い切って死ぬほうがよい」ようなアドバイスが聞こえてきます。ほんと、無責任だなあ、と思います。

考えてみれば、私たちは日常生活においてさえ、「使い切る」という行為に苦労していませんか?冷蔵庫の食材、特に調味料などはいい例ですね。使い切ることなど容易ではありません。そして本。積読なんて言われますが、読まずにいる本は本棚のおもりになっています。ぼくの場合は趣味のプラモデル。死ぬまでに絶対作りきれないプラモが棚を埋めています。それを見るのも楽しいのですが。

ではが資産、つまりお金の問題。使い切るなんてなおさら困難が伴います。資産の使い切りとは、計画的かつ精密な管理が求められる行為です。お金は生きているうちに使い切ったら、心細く悲しいですよ。 確かに、余すことなく資産を使い切るという考えは、ある種の解放感や豊かな老後を想像させるかもしれません。で

もね、よく考えて下さい。現実はもっと複雑です。経済状況は常に変動し、予期せぬ出費は生じます。医療費や介護費、そして家族への思いやりなど、様々な要素が私たちの資産計画に影響を与えるのです。

ぼくたちのお金/資産を「使い切らせようとする人たち」がいる。つまり、財布の中身を全部持って行こうとする人たちがいる。そんな人たちの言うことを聞いてはいけないとぼくは思います。 シニア世代が資産管理を行う際には、「使い切り」よりも、むしろ「余裕を持った管理」があたりまえでしょう。死ぬときにある程度の余裕を残すことは、単なる経済的な問題ではなく、人間としての尊厳や家族への愛情を示す行為でもあります。また、未来が不確実な中、ある程度の余裕は安心感を提供し、精神的な安定をもたらします。 最後に、資産管理は個々人の価値観や状況に大きく依存します。

 

耳目をあつめる「使い切るべき」などという声に惑わされないようにしたいものです。

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随所に愉しむ

どこにでも、何にでも、いつでも楽しいことはあると思っています

豚バラ肉をとろとろになるまで煮たり、蒸したり、焼いたり、壺に入れたり入れなかったりで、甘辛く味付けしてあるもの。

その料理の方法のバリュエーションは多いけど、要するに中華風豚バラ肉の角煮です。そんな豚肉料理に「トンポーロー」っていう名前がついているタイプがあります。トンポーロー、僕が大好きな中華料理なんですよ。漢字で「東坡肉」って書きます。

由来は、蘇東坡。

蘇東坡・蘇軾は四川の人。宋代の高官であり詩人です。
政争に勝ったり負けたりの挙句、晩年には、親友でもある政敵によって、北宋の首都・開封から遥か南の広東は恵州に追いやられ、さらに数年後は、海南島に流されてしまいます。

蘇軾が50代後半から60代にかけてのこと。

蘇軾の詩には、明るく屈託のないユーモアがあります。...ユーモアって外国語でやだな。いや、もう日本語か。剽軽、とも違うな。
自分を客観視して、その滑稽さ、悲しみさえも柔らかく受け止めおおらかに楽しむこと。そういう感情や感覚をなんと言えばいいのでしょうか。蘇軾は左遷された先でも明るさを失わず、詩作を続けるとともに、そこでの仕事や生活を、そして大好きな豚肉料理を楽しみました。

豚バラ肉のトロトロ角煮を、蘇軾があんまり好んで食べたので、人々はそれを「東坡肉・トンポーロー」と名付けたほどでした。

あるとき、左遷された先で、土地の人が蘇軾にこう聞いたそうです。

「先生、こんな田舎に左遷されているのに、どうして先生はそんなに毎日楽しそうなんですか?」

とっても失礼な質問にもかかわらず、蘇軾は微笑みながら答えました。

「どこにいようと、何をしていようと、私は楽しいんだよ」

以上は、高校のときの漢文の先生から教わったエピソードです。

「諸君達はそうなれるか?」 

軍属として大陸を駆け回っていたという老先生は教壇で笑っていました。

ときの皇帝が死に、蘇軾は赦免され都に帰ることが許されました。政界に復帰です。

いよいよ海南島を去るに当たって、こう詠みました。

  青山一髪是中原

和訳すると...

「はるか遠く水平線に青くかすむのが本土である」

...和文に訳してしまうとなんとも締まりません。

漢詩の引き締まった精悍さが失われてしまいます。ところが、日本には漢文書き下しという文化があります。
 
  青山一髪 これ 中原

そこに込められた思いは、「その本土、その大地こそがこの世の中心、そして私が仕事をすべき場所なんだ」だったのでしょう。
 
  これ 中原

解釈しすぎですかね。

  青山一髪 これ 中原

蘇軾は帰路、都・開封へ向かう旅の途中で死にました。六十六歳のことだそうです。

 

©️朽木鴻次郎 プロダクション黄朽葉

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