〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

パワーポイントやキーノートのアスペクト比を一括変換する

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パワーポイント(パワポ、power point、PPT)やキーノート(keynote)などのプレゼンソフトを表示しつつ自分も映り込むことができるという機能。

Zoom 5.2.0 から実装されています(ベータですけど)。

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プレゼンスライドに講師が入り込む。こんな感じなんですよ。やっぱり講師の表情もまた訴求力の一つではあります。

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zoomには録画機能もあるので、一人zoomで講義を録画してしまえば、簡単に研修動画(やプレゼン動画)ができあがります。

でもね、パワポでも、キーノートでも、スライドのアスペクト比(横:縦の比率)は、ディフォルトでは4:3です。一方、動画は、16:9。だから4:3のスライドをそのまま動画に使用すると、上下が切れてしまう。動画に録画するときには、16:9が好ましい。

プレゼンも動画でやる時代です。 いままで使ってきたプレゼン資料。一発でアスペクト比を変換する方法をご紹介します。実に簡単です。

 

    

 

©️ 朽木鴻次郎
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二式砲戦車 ファインモールド  プラモデル

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ファインモールド社の「二式砲戦車」のプラモデル。

二式砲戦車は敗戦色濃くなった時期に帝国陸軍が既存の戦車に大きな大砲を乗せる目的でつくられたもの。

 

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付属でついているフィギュアは、モンペ姿の女学生。

 

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後ろ姿に、おさげに結った髪。

 

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ぼくの母親は、昭和三年の辰年で東京の生まれ。女学生の頃はこんな姿だったのかもしれない。母方の伯父にきいたその頃の母は、目だけぎょろぎょろ、ガリガリに痩せていた小柄な少女で、色はマックロケだったらしい。戦争のせいだけじゃない、貧乏もあってろくなものも食べれなかったらしいしさ。(ちなみに、母はすごい美人です。)

 

学徒出陣の式典の日、大雨の神宮外苑に女学校の全校生徒が駆り出され、翌日は熱を出して寝込んでしまったそうだ。女学校と言ったって勤労奉仕ばっかりで、空襲の翌朝は黒こげになった焼死体をまたいで工場に通ったと。そんなのは「あったりまえのこと」だった時代なんだとなんども聞かされたよ。

 

あるとき、敵の戦闘機が飛んできたと思うと、女学生の母を目掛けて機銃掃射してきた。でっかい機銃弾が一発でもあたったら、身体中がバラバラに砕けてしまっていただろう。

「あいつらひどいのよ、おさげでこんなちいちゃい兵隊がいるわきゃないじゃないの!遊びで撃ってんのよ」

そうは言ってもさ、竹槍で米兵に見立てた藁人形への刺突訓練もしてたんだから(教練の授業とはいえ)、向こうだって落っこったらそのチビの女学生に突き殺されるかもしれない。お互い様、と、まで言っちゃあなんだが、そんな気もする。

 

「敵のさあ、まっ黒い飛行機がね、ブーンと飛んできたと思ったら、下からビィィィィンっと一直線、味方の飛行機がキラキラっと上がってきたのよ。みんなで『ガンバレ!ガンバレ!』って応援してたの。二機の飛行機がもつれるようにくるくる、くるくるっと回ったと思ったら、一機がパッと火を吹いてキリキリキリキリって落ちてったの。『やった!万歳、バイザーイ!』ってあたしたち、大騒ぎよ。そしたらね...」

 

「落ちてくの、日の丸よ! あああああ〜....」

 

「ほんと、戦争はいやよ」

 

小さい頃、ゼロ戦だか、隼だかのプラモデルを作っていて、仕上げに日の丸のマークを貼ってるぼくの脇で、そんな話をしていました。

 

「ねえ、日本が勝ってたら、どうなってた?」

 

子供のぼくはそう聞いたことがある。

 

「そうね、最後の頃は軍人がえばっちゃってさ、やな感じよ」

 

 

©️ 朽木鴻次郎
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「避けられた戦争」油井大三郎先生、ちくま新書(Kindle版)2020年6月9日

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油井先生の「避けられた戦争」ちくま新書をようやく読了。 そうなんだよ、世界の動きの中での日本の動き、世界の状況と日本の状況、これがわからないと今日への教訓へつながらない。 政党や人命、地図で事件の起こった場所などを確認しながら読んだので読み終わるまでずいぶんと時間がかかりました。 大変勉強になりました。

 

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ぼくなりに要約すると
・第一次大戦後の厭戦感と軍縮志向は世界で共有されたものの(含日本)
・領土拡大植民地主義の旧式外交と
・門戸開放自由商業主義の新式外交
・この新旧外交方針が時間的にも国別にも地域的にもモザイクのように混在したのは英米日でも同じことだったが
・他国(特に米国)の旧式外交(排日移民政策)が顕在化する中
・満蒙利権への執着と二重外交(政府と軍部)体制だったした日本では
・暴力を背景とした政治圧力も厳に存在する民主主義の未成熟さも相乗して
・英国のような中国利権の放棄(大陸内部)と確保(香港)政策を実現できず
・条約改正や国権回復を願う中国との確執が深まり*1
・それは張作霖爆殺と満州事変(さらには熱河作戦、上海事変)により修復回復不能になった。
 
特に注目したのは、渋沢栄一を始め一定数の政界経済界の人間が、満蒙や既得権益に固執せずとも、条約改正や門戸開放を行ったとしても、日本経済に対する不利益よりも、むしろ経済的利益が大きいと喝破していたことです。
 
河本大作だって石原莞爾だって、山本五十六だって、それぞれの思いや信念もあったことではあろうとはおもうのではあるが、くやしくてしかたがないです。
 
もしも新式外交が現実になって、日本軍(関東軍)が縮小撤退したとして、そのあと、国民政府軍や中国軍閥がのこった東北部に、1930年代のスターリンがどう向かっていっったのか? 国府軍と対立していた中国共産党軍はどう動いたか?どんな可能性が読み取れたか?その可能性はこの本からは読み取れませんでした。
 
油井先生のおっしゃるように、近現代史の日本史と世界史、各国史の研究の統合が、今後さらに進むことを期待します。
 

©️ 朽木鴻次郎
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*1:明治維新後条約改正にはあれだけ苦労したのに!