〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

技量と感性、そのバランスというもの

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以前、ラジオの番組に夏木マリさんがゲストとして出ていて、パフォーマンスをするときの感覚の盛り上がり/高揚(groove)について尋ねられたときに、夏木さんはこうおっしゃっていました。

 

あえて誤解を恐れずに言いたいんだけど、パフォーマンスには技術、テクニックが必要で、テクニックのないところに感覚の高揚はないと思う。

 

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「子曰く学びて思わざるは即ち罔く思いて学ばざるは即ち殆し」

 

孔子は、「学び」と「思い」を等しく扱っている。夏木マリさんも、「技術」と「感性」とを等しく扱いたいのだと思います。よくある議論ですが、「物事は形から入る」べきか、あるいは、「意味から入るべきか」という対立と、夏木マリさんや孔子が言っていることは少し違うと思うんです。

 

「その意味はわからなくてもいいから、とにかく先輩の真似をして形から入るのが良い」という人もいれば、「意味がよくわかってからこそ、形が物になる」と考える人もいます。だけども、当たり前のことなんですが、どちらも大事。だからこそ、文脈の中で、「学び・技術」と「思い・感性」のバランスが崩れているときは、平衡を取り戻さなければならないと思う。

 

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実はこの「A」と「非A」とのバランスというのは、天秤座のぼくの一つのテーマなのです。

 

ここでは、「技術」と「感性」の対比でしたが、ときによっては、「手続」と「実体」であったり、「嘘」と「真実」であったり、「美」と「醜」であったり、「忠」と「孝」であったり、「愛情」と「無関心」だったり…… あるいは;

「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

  

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「常」と「非常」だったりする。

 

常にあることも、常にあらざることも、バランスが求められる。

 

そのバランスは、スチル写真のように一瞬を切り取ったものではなくて、ムービー・動画のように連続した一連の時間の中でのバランスなんだ。一瞬のアンバランスももう少し長い時間の経過の中で捉えることで、危ういかもしれないけれどもバランスが取れる。

 

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ねえ、なんかの言い訳をしてんの?

 

.... へぇー、よくわかったね。

 

 

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持ってた算盤(そろばん)カシオに変えて♫

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愛用の電卓、カシオのDS-1、って型番は今知った。

調べたら「昭和レトロ」なんだそうな。1970年代半ばの発売らしい。

 

実家の新聞販売店で使っていたのを、社会人になりたての頃、1980年代の半ばに貰ってきて(持ってきて?)以来ずっと仕事で使ってきたもの。海外赴任にも、出張にも持って行ったよ。発行株式数を集計したり、事業計画の予実対比をしたりするときは、手書きで縦横の表を作って計算するんですけど、足し算引き算の数字が合わなくてなんどもやり直したものです。

やがてロータス123やクラリスワークス、そしてエクセルが出てきて、この計算機をあんまりヘビーには使わなくなりました。それでもちょこちょこ計算をするにはパソコンよりもやっぱり電卓が便利です。

 

一度、甘い缶コーヒーをこぼしてしまって、「2」のキーが粘ついたけど、使っていたら元に戻って、いまだになんの不具合もない。機能的には最新の計算機には及ばない(らしい)けど、ぼくがフツーに使う分にはなんの不満もありません。

 

先週、会社に持ち込んでいたいろんな私物と一緒に自宅に持って帰ってきて、あらためて、長く力になってくれたな、ありがとう、という気持ちです。

 

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となりの「算盤(そろばん)」?

これは、南洋で石油を掘っていた頃に華人のアシスタントさんたちから貰った文鎮・ペーパーウェイトでござる。そろばんとしての実用品ではありません。

「ミスター・クチキは、いつもおカネ勘定ばかりしているから!」って、誕生日にプレゼントしてくれたもの。中国式です。ほら、上の玉が二つ、下の玉が五つあるでしょ。現在の日本のそろばんとはちょっと違う。

 

そろばん文鎮も計算機も、どうもありがとう。まだまだ頑張ってもらいますよヽ(´▽`)/ 

 

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「斬れる」英語

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京都のFM局「αステーション(89.4)」の人気番組 Oversea's TOP 40 の DJ、ポールさんは、時々、番組の中で、英語に関する質問に答えています。ポールさんはアメリカの方なんです。

あるときこんな質問がありました。

私は、玉ねぎが食べられないんですが、レストランとかで、『玉ねぎが苦手なんです』ってなんと表現したらいいのでしょうか? 私の英語では

I do not like onion.

ぐらいしか思いつかなくて...... ちゃんと通じているのでしょうか?

 

ポールさんの答えはこういうものでした。

英語として、通じる。でも、あなたが言いたいことが相手に伝わるかどうか、は疑問です。

 

こう言ったらどうでしょう、と提案されたのが:

No onion, please.  (玉ねぎ入れないでね。)

 

斬れる! これですよ。英語として正しい文法、語彙を使えていたとしても言いたいことが伝わらないなら、ナンセンスです。
ぼくも含めて、文法や単語の選択、発音は、まあまあできたとしても、「斬れる」英語がなかなか話せない。だから伝わらない。

例えば、先方(アメリカ側)が提示してきた工期では、こちら(日本側)の事業計画には間に合わない。そんなとき

Is this construction schedule final ? (この工期は最終的なものですか?)

と聞いてもダメなのです。交渉の歯車が噛み合わない。

Could you complete construction by mid May? (5月半ばには建設を終えることはできますか?)

これでないと、斬れない。

 

若い頃、とある会議に参加したときのこと。相手型が細かいどうでもいい共同作業を思いつきのように言って来ました。そのバカバカしい提案を聞いて、半ば呆れ気味に「まあ、いいけどなぁ...」つぶやく上司の言葉を受けて、相手側にこう主張したことがあります。

No, we do not think it necessary. (こちらとしてはご提案のような作業の必要性はないと考えます。)

 

もちろん単にストレートにものを申せばいいという訳ではないし、洗練されたレトリックやボディランゲージ、それとビジネスの場に限らない人間関係・信頼関係の構築、そういうものも必要なんでしょうね。

精進精進。


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さはさりながら「お出かけのときには笑顔を忘れずに」っていうのをわざわさ

You are never fully dressed without smile.

なんて言ったりするから、英語は難しいです。

 

www.youtube.com

 

このうたスキヽ(´▽`)/ 

 

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