思い起こせば幾星霜、小学校の頃にみなもと太郎の「冗談・新撰組」を読んで以来、新撰組の大ファンであるにもかかわらず、ですよ。
京都に来て十余年、行ってきましたよ、聖地巡礼ヽ(´▽`)/
1・壬生編
四条大宮が最寄りですが、僕は一駅西の西院で降りて、壬生をトコトコと東に向かいました。壬生は生活感溢れるいい感じの古い住宅街です。
まずは壬生寺から。
綺麗なお寺です。ちゃんとお参りしてからね。写真を撮るのはね。
桜には早い時期でしたけど、ちょっと肌寒いけど、天気が良くて、気持ちいいっす。
なんか、記憶していた歌詞と違う。
比叡に嵐か 京雨か
誠一字に花と散る
ますらおぶりをだんだら染めて
新撰組は京を行く
記憶違いかな。
八木邸。お菓子屋さんの脇を入ります。芹沢鴨と水戸一派が殺された部屋でガイドさんの話を聞く。1000円とちょっとお高いですが、ガイドさんと抹茶・お菓子つきだもの。
江戸から京都に来ての宿泊地がここ。意外と狭いし、芹沢鴨が愛人と寝ていた部屋なんか、八木邸ご家人のすぐ隣、夜の声なんかも筒抜けだったんだろうと思う。昔と今ではプライバシーって考え方が全然違ったんだろうな。
現場をみないとわからないですよ。
見学後にふるまわれたお菓子とお茶。屯所餅だってヽ(´▽`)/
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2・池田屋編
ご近所なんです。壬生界隈は初めてだったんですけど、こっちはもう何回も何回も前を通っています。
以前はパチンコ屋さんでしたが、その後にゴハン屋さんになりました。「池田屋」って名前で池田屋跡で営業してるの。有名な階段も作られている。
頭いいね!
この石碑は以前のまま。
池田屋は、この三条小橋(高瀬川にかかる)の西、数十メートルです。三条小橋では佐久間象山や大村益次郎が遭難しているんですな。
歴史に大きく名前を残せなかった諸藩の志士だったらいっぱい死んでると思われます。
三条小橋東詰の石碑と解説。 新撰組とは関係ないですけどね。
ちょっと北に行って三条小橋を眺める。高瀬川の流れる木屋町は三条から北に行くと川面を眺めるカフェとかあってしっとりとおしゃれ。
それもそのはず...
裏手にはファッションホテルが三軒ほど軒を連ねていますのね。木屋町南で飲んで騒いで、二人で抜け出して、おしゃれで甘いけどつよいカクテルを飲ませた後は...
...ってわけでしょう...( ̄ー ̄;)
池田屋事件ではこの辺は大騒動だったんだろうな。諸京都藩邸が立ち並ぶエリアだったらしいですよ。だから旅館や旅籠が多かった。ラブホも旅籠ちゃ旅籠ですが。
御池から高瀬川を南にのぞむ。
1864年の池田屋事件。30歳の近藤勇絶頂のころ。
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3・會津公/黒谷編
新撰組の面倒をみた会津藩。京都の黒谷さんに本陣を構えました。
テロリスト浪士や関ヶ原の復讐を願う西国過激諸藩士のおかげで京師の治安が悪くなり、特別職として京都守護職の貧乏くじを引いたのが会津藩。策士清川に連れられて来た浪士一味の芹沢・近藤らを拾い上げて、特別機動警察たる新撰組に仕立て上げたのも会津藩。
その会津藩が本陣を置いたのが御所の北東・岡崎の北、金戒妙寺(こんかいみょうじ)。黒谷(くろたに)さんと呼ばれる古刹です。
地下鉄東西線、東山で降りて北に向かい、平安神宮を左手にみてぐるっとまわり、さらに北に行きます。結構歩いたよヽ(´▽`)/
東山三条からでも「歩きで」があるんだから、壬生の新撰組屯所からはかなり遠いです。こんなに離れていたんだ、って歩いてみて初めてわかる。
由緒あるお寺なんですな!
山門。
山門から本堂をのぞむ。威圧感... こういう演出はものすごいよね。
字が小さくてごめんなさい。クリックすると写真が拡大します。
境内にはお団子屋さんもありましたヽ(´▽`)/
暑いときにはソフトクリーム。
くつを脱ぐと本堂にも上がることができます。ここで殿様のお目通りを受けたりしたのかな。別の建物かも?
お参りなさる人も多いんでしょうね。
壬生の新撰組と黒谷の会津藩、かなり距離があります。三条木屋町の池田屋はその中間ぐらいかな。
壬生と黒谷の距離感、歩いてみないとわからんかったんす。行って良かったヽ(´▽`)/
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士道不覚悟につき、斬る!
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