先日、ある人が「ハラスメント被害者は、その人に全く問題がないかというと、そうとも言えないケースが多い」的なことを言っていて、それはまずいな、と思いました。
もちろん被害者の人権の観点から、加害者としてそんな意識を持つことは許されない。なにか過失相殺のような考え方をハラスメントに持ち込むべきではないと思う。
実は、ハラスメントの問題を職場で解決するときは、どちらが何割悪いかを考えることではなくて、どうやったら被害者の精神と身体の傷を癒したらいいのか、という点が一番重要で、同じくらい重要なのは、問題行為をどうやったら排除できるのか(やめてもらうのか、再発させないのか)ということである。ぼくたちの職場は法廷ではないし、ぼくたちの日常は裁判ではないのだから、どちらがどれだけ悪くて、それに対する処罰や損害はどのくらいか、を決めることではないのだ*1。
行為者も、被行為者も、会社の貴重な人材である*2。
もうひとつ、もし会社の研修で講師が「ハラスメントは被害者にも非がある場合がある」と話していたとしたら? そしてそのことがパワハラ裁判の原告側(被害者)の証拠として提出されたら?
『パワハラ行為者は会社で受講した研修により自分には正当な理由があると信じて卑劣なパワハラ行為を繰り返していたと考えられる』
原告側の代理人はそう言って、会社側の責任の連帯性をより強く主張してこないだろうか?
動画を上げました。
「相手も悪いけど、君にも悪いところはあるよ」
そういう解決方法を好む人が多いことは知っているが、ことハラスメント(セクハラ、パワハラ)になると、それは間違いだと思う。
©️ 朽木鴻次郎
~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~