日本橋の室町という土地で育ったものだから、記憶のない子供の頃から、おはようございます、こんにちは、をきちんとすることをしつけられた。ぼくの実家は新聞販売店だったし、小学校から中学校のクラスメートのほとんどが、商売をやっている家の子供だったからね、「〇〇さんのところの下のセガレさんはあいさつもできない」なんてことは許されなかったのですよ。
コージローの学校の連中は、子供のくせにあいさつだけは大人びてるんだから!
地元の公立ではなく、茗荷谷の学校に、幼稚園から高校まで電車で通った4つ上の姉はよくそう言っていたな。
あいさつは明るくきちんと。
任天堂のモットーの一つである。なんせ娯楽・楽しさという商売をしているんだ、笑顔のあいさつは基本中の基本である。
社員同士だけじゃなくて、お客様、任天堂以外の人と社内の廊下などですれ違うときでも、その方を知っていようがいまいが、「こんにちは!」と笑顔であいさつする、そんな企業文化がありました。知らない人にもあいさつするんだよ。途中入社のぼくは、さすがにそこまでできるようになるまでは一年ぐらいかかったな。
ところで、あいさつ、ってなぜするんだろう。
・私はあなたの敵ではないし、危害を加えるつもりはないよ。
そういうメッセージを送る、ぼくは大人になってからはずっとそう思っていた。
あるとき、当時の社長だった岩田さんにこう言われたことがある。
あいさつってなんだと思いますか?私(岩田)は、あいさつをするということは『相手の人としての存在をちゃんと認識していますよ、そして相手の人に対して、人間としての興味や関心、そして尊敬の念を持っていますよ』そのことを『簡潔に伝えるという機能を持った慣習』なんですよ。
『簡潔に伝えるという機能を持った慣習』という言い回しは、実に理系な岩田さんらしいものいいだなあ、と関心したものでした。
ところがね、慣習とはよく言ったもので、常に形式化する危険がある。
・おはよ〜っす! (まだいいか)
・あいぃ〜〜〜っす!(あんた、志村けんさん?)
・ございま〜〜〜す!(「おはよう」を略したら、そもそも意味をなさない)
ある程度の形式化は仕方がないにせよ、やっぱり笑顔で、その人の顔や目をちゃんとみてあいさつはしないとな。
心のこもったあいさつは、大事だと思うよ。
© 朽木鴻次郎
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