「わたしが生まれ育ったのは、島根県のオキノシマというところです。みなさんのような都会で生まれて都会で育った子供ではありません」
ぼくの通った東京日本橋本石町の小学校に新卒で着任してきた保健の先生は、新学年初めての朝礼の挨拶でそう言った。白いワンピースを着た小柄でひっつめ髪の化粧っけもない若い女性で、すこしばかりの訛りがあるのをぼくたちはすぐに気がついた。
1970年の4月、小学校の5年生のときだった。
オキノシマ?
千葉県館山市には「沖ノ島」という陸繋島があり海水浴に行ったことがある。でも、この先生のご出身の「オキノシマ」って、東京の子供が夏休みに家族と一泊程度の海水浴に行く場所ではないことはなんとなくわかった。
あとでみんなで社会科の地図で調べてみたら海の果てのように遠いところだったな。
こんなところから東京に来ることができるんだ、とも思ったよ。なんせ、日本橋の本町や室町から昭和通りを渡って人形町に行くのが、ちょっとした遠出に思えたくらいの50年近く前のガキの話ですのでね、お差し支えがあったらお許しください。
夏休みが終わって、二学期になってしばらくしてからだったかな。
老舗割烹「双葉(ふたば)」の長男のやっちゃんとふざけて追いかけっこをしたときだったか、体育のときのスタートダッシュで肉屋のエイイチとモミ合いになって転んだときだったかは忘れてしまったが、左足を捻って、骨にヒビが入ったことがある。
そのときに背中におぶってくれて、保健室から本石町の日銀前のK病院に連れて行ってくれたのがこの新任の保険の先生。
ぼくは小学生にしては背が高く、反対に先生はとても小柄だったので、同じくらいの背丈だった。先生の上背が足りないので、背負われているというよりも、ぼくは引きずられていた感じだったな。
先生は「クチキくんは、xxxで、xxxだから、...xxxはxxxで...」と、何かを唱えるようにとずっと話しかけてくれていたんです。ただ、なにをおっしゃっているのか全く記憶にない。
イタセクスリアスみたいなことを書きたいわけでもないのですよ。
女性の匂いや、やさしい柔らかさの記憶もない。また、痛みの記憶もないな。
なんだか、念仏のように「あなたはxxxだから、xxxにしてもxxxで...」とすこし訛りのある口調で、この若い女性の先生が繰り返していたのだけを覚えている。
もう、当然ながらうっちゃってしまって無くなってはいるが、翌年の3月にもらった小学校の5年の三学期の通信簿の健康所見の欄に、この保健の先生が「秋に生まれたクチキくんは、xxxでxxxだから...」と美しく細い万年筆の青いインクで書いてくれたことは記憶している。
記憶といっても「秋に生まれたクチキくん」と万年筆の青いインクの繊細にきれいな文字で書かれていた以外は覚えていないのですが。
ぼくは秋に生まれました。10月生まれなんですヽ(´▽`)/
夏も好きだけど、秋も好きだよ。
その先生のお名前も忘れてしまった。
ずいぶん思い出そうとしたんだけどね。
若い女性の先生の名前は大抵覚えているのに不思議です。前任の保健の先生は美人の柏先生、その前がとても穏やかで優しかった山口先生だったってちゃんと覚えている。図工と体育の兼任の先生がグラマーでボイン(死語?)な三沢先生で、その次の図工専任の先生が小柄で髪の長い小林先生だとも覚えているんだよ。
どうしてこの隠岐之島の先生の名前を忘れてしまったんだろう。
これから先、もっといろいろ忘れるかもしれない。それとも昔のことだけ覚えているようになるのかな。
実はこの文書を書いたあと、どうしても気になって、小学校の同級生にフェイスブックのメッセージで聞いたり、かろうじて残っていたふる〜い小学校時代の文集や学校だよりとかを調べてみたりしたんです。
そしたらね、わかったん。
奥川しのぶ先生!
ぼくが小学校五年生のときにご着任。晴海の職員宿舎に住んでらした。そろそろ70歳になられるんじゃないかな。お健やかでいらっしゃるといいな。
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「あ」は秋の「あ」、「じ」は10月の「じ」、そして自由の「じ」
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