〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

ねえ、もう一度して

 

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ベトナム・ホーチミン市・レックスホテル 1994年(だと思う)

 

南ベトナムのサイゴンは1974年に陥落して、ホーチミン・シティに名前は変わったけど、ぼくが赴任した1992年当時、地元の人たちは依然として「サイゴン」っていっていたよ。「シャイゴン」と訛るのが地元南部の発音。

 

僕たちは、かつて米軍士官宿舎だった建物を改装したレックスホテルに事務所と宿舎を設営した。巨大商社のS商事もそこに事務所があったな。計画停電も日常のことだったし、まだまだ外国人は当局から監視されていたからホテルに事務所も宿舎も設けてしまうのが一番簡単で経済的で安全だったのです。

 

 

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Do that to me one more time / The Captan & Tennille)

この曲は「愛の証」っていうのが正式の邦題です。「ねえ、もう一回して」っていうのが直訳の題名。僕はこっちの方が好きだな。 キャプテン&テニールの1980年の曲です。

 

ックスには、南ベトナム時代からのダンスホールがありました。夜の8時からオープンしていた広いダンスホールに生バンド、照明はね、真っ暗になるんです。


この曲もよくかかっていたな。スローな曲なんで踊りやすかったのかもね。もう20年以上も経ってしまった。ラジオのFMからときどき流れているのを聴くとダンスホールのカビ臭い匂いと偽物のウィスキーの舌にしびれる味を想い出す。


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サイゴン・フローティングホテル 今では北朝鮮にあるらしい。

そのうちに事務所をサイゴン河に浮かぶ「フローティング・ホテル」に移した。日本領事館も正式に再開する前の一時期このホテルの一室に事務所を設けていました。

 

宿舎のレックスから歩いて10分、シクロで5分。すぐ上の写真がそのフローティングホテル。客船を改装して河岸に係留してあるんですね。このホテルにはダンシングホールではなくて、「ディスコ」が地下にあった。お客さんは西欧人が多かったですね。

 

事務所は移転したけど宿舎はそのままレックスホテルで変えずにいた。レックスの方が部屋が広くて安かったんです。それにフローティングの「ディスコ」よりもレックスの「ダンシング」の方がぼくは好きだったな。

 

Do that to me one more time
Once is never enough with a man like you
Oh, do that me one last time.

もう一度して
あんたみたいなオトコは一度きりだけじゃ足りないんでしょ?
だからねえ、最後にもう一度


++++

みんなに同じこと言ってるんだろうね。あはは。

 

 

 

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