三十三間堂のお堂正面から。
三十三間堂の公式ホームページは↓↓↓こちら。
成り立ちとか、豊臣秀吉との関係とか、後白河上皇の御陵とか解説がとても面白いです。勉強になります。
七条を東に行くのが普通かもですが、JR京都駅から塩小路を行って南大門から入るのもまた面白いですよ。
塩小路を行くと、結構「京都のリアル下町」情緒あふれるものを発見できる。
エx映画館とか、潰れかけた・潰れてるお店とか... えっと写真のアップは自粛です。
...? 「エx映画館」とか書いちゃったけど、本町館(ほんまちかん?ホンマ、痴漢?)って、大正期創業の由緒ある映画館なんだ!
ウィキペディアにも出てるしHPも持ってる。八千代館なき後、孤高にがんばったはるなぁ。ビデオや衛星放送がこれだけ発達すると個人経営の単体館や名画座は普通の映画・名画じゃ営業続けられなくなるよ。茶化してごめんなさい。どんな形でもがんばってほしいです。でも、ほんとごめんなさい、観にはいけません。
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話を戻して.... 塩小路を鴨川渡ってさらに東に行くと....
長い塀、太閤塀とその先の南大門をのぞむ。天気いいのが嬉しい。人が少ないので歩きやすい。
南大門をくぐって北から南にのぞむ。右手の赤い塀が三十三間堂の塀です。
赤い塀、今度は南から北にのぞむ。
なんか建物とか、色使いとか、配置とか、色々ちぐはぐです。
それは秀吉の時代とそれを否定した徳川の時代、太平の世に大人気となった通し矢、この一帯の歴史に由来するんですね。詳しくは、上にリンクを貼ったHPをご覧いただくのがよろしいかと。
お堂の東には後白河上皇の旧御陵。公家社会から武家社会への端境期を生きた権力者です。
七条を隔てた国立博物館あたりは、旧方広寺で、この辺一帯が秀吉の権力の象徴だったんだ。なるほどなるほど....
三十三間堂境内には、北の拝観受付から入って、東(左手)の方からぐるっと回ることにしました。
一番上の写真がお堂を正面から撮ったところ。
東の軒下、南からの写真です。長い。
西の軒下、南からの写真です。長い。
こっちから向こうに通し矢を放っていたとヽ(´▽`)/
西側の軒下。ここでですね、錦之助・武蔵が、平幹二朗(吉岡伝七郎・ちょー高慢ちき!)と戦ったところは。
すごい!すごい!って、ここですげー興奮してたんですけど、この後、本堂を拝観したら... ここでの決闘はフィクションなんですと。お堂にあった解説にそう書いてあった。吉川英治の創作なんだそうです。そっかー...
でも、内田吐夢の映像は素晴らしい。ピンと張りつめた空気を感じるものでした。
さてさて、ここが三十三間堂・西の軒下、通し矢の舞台です。
向こうからこっちに矢を放つ。
北側から撮った写真です。長い。
このあと、お堂で中尊の巨像、千体観音立像、雷神風神、観音二十八部衆像を拝観いたしました。
いや、すごい迫力です。
圧倒されます。
中学・高校の修学旅行とかで行ったきり、って方も多いと思います。ぼく自身も行った気もするが、全然覚えていないです。
行って良かったヽ(´▽`)/
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