日常の何気ないきっかけで、昔のことをふと思い出すことがある。それは時計のネジをまくとき指に感じる歯車とゼンマイの感触によってだったりする。
そんなふうに、偶発的に過去のできごとがよみがえることもあれば、「何かを思い出すかもしれない」と意図的にそんなきっかけを求めることだって、もう60歳に近いんだ、たまにはしたって構わないよな。
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10代の終わりから20代の初めにかけてを過ごした大学時代を「揺籃期」と呼ぶのは語用に誤りがある。*1
ただし、なんだか訳がわからず形にもなっていなかった自分が、それまでとは違うタイプの友人や教師・教授に触れ、家族ではない無責任な大人と交わり、ぎこちなくオンナノコを好きになっては絶望する、そんなふうに揺られてぶつかっていく過程で「自分」というものの形がまとまってきたのはその時期であって、だから「揺籃期」と言っても差し支えはないだろう。
マーボー豆腐を作る仕上げに水溶きカタクリ粉を入れるタイミングみたいなもんですね。
1982年の5月にこれと全く同じ風景をみた。というよりも、その36年前と同じ風景が見えるかどうか同じ場所に行ってみたのだ。都下・国立(くにたち)の一橋大学である。
21歳のぼくは、同じ場所のベンチに座ってこの兼松講堂とその壁面の校章を眺めて「何十年か経ったらこの景色を思い出すのだろうか」と考えていた。大学の後期、三年生になんとか進級できたころのこと。
青空までが当時と同じだ。
そのころのぼくには分からなかったし、ナマイキな若者だったから認めることなどもしなかっただろうが、卒業*2や就職まであと2ヶ年を切り、何をどうしたいのか、どんな方向に進みたいのか、自分の希望さえもつかめず、不安・不安定な心理状態だったのだと思う。だってこれから、今まで生きてきた長さをゆうに超える年月を、何十年という時間を、「働いて」過ごすんだぜ。
でもさ、そんな不安や不安定な気持ちというのは状況や対象は変わってもその後もなくなることはないんだよ。
大皿に残ったマーボー豆腐の豆腐クズのカケラのような今のぼくは、まだ中華鍋で水溶きカタクリ粉による最後の仕上げを待っている「豚ひき肉とトウフの煮物」状態のぼくにそう教えてあげたい。
不安定な気持ちはいつでもあるんだよ。不安がなくなることはない。むしろ「不安」を意識するのが生き続けるのがコツなんだよ、って。
多分当時のぼくは、そんな言葉を聞いたとしても口のはたで嗤って、聞く耳なんか持たなかっただろうけどね。不安で、不安定な気持ちを持っていることさえ分からなかったんだから。
揺籃期を「ゆりかごの中から外に出ようともがく時期」と定義するなら、あの四年間、特に大学後期の二年間をそう呼ぶことは、差し支えないどころか、全く理にかなっている。その頃のことをたまに思い出して、当時の自分の若い細胞の記憶を現在のこの身体に取り込んで、一時的かもしれないが生き延びていくための免疫力が上がった気がいたしました。
ありがとうございました。もうちょっと人生マジメにがんばろっと。
あははヽ(´▽`)/
© 旅芸人・朽木鴻次郎
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