〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

百尺竿頭一歩をどうする?

 

老後の資金の不安を煽る声もヒデーものだが、老後は「自由にやりたいことをやれ」「ヒマを持て余すな」「100歳までの時間を充実させろ」とありもしないリタ充(リタイア充実ライフ)をあげつらって商売のたねにする人たちも無責任だ。「定年後は時間が余って暇になるから持て余す」ってゆってるその著者が、おんなじ本で「健康でいられる時間は短いから心しておけ」って、あのね、おっさん、わしゃワケわからんヨー。

 

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現実は常にアルファとオメガの間にある。

 

「間(あいだ)」と行っても色々あるよね。根元の方なのか、先っちょの方なのか、それとも厳密な中間地点なのか。

 

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誤解というのは面白い。

長年「百尺竿頭に一歩を誤る」と覚えていた。頑張って進んで来て、最後の一歩で落っこっちゃう、みたいな。

でもそれは誤解で、本当は「一歩を進める」というのだそうだ。

・百尺竿頭進一歩


百尺竿頭、これ以上先はない物事のきわまり、でもそこに至ってもさらに一歩を進める、もう一歩努力して前に進め、って教えだそうだが......

それは無理だ。

それこそ落っこっちゃうもの。

ゴールが近くなっても踏み外さないようにその一歩を注意しなさいよ、一歩を誤るな、という教えの方がぼくにはしっくりくるな。

 

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いや、むしろ、むしろですね。

「百尺竿頭、一歩を退く」

 

・百尺竿頭退一歩

一歩手前で止めておく、仮に進めることが可能であっても一歩足りないところでとどまる、くらいの方がいいのかもな。

美学っちゃビガクかもですが、根性が足りないのよ、オレ。

例えば、筋トレのシメで「腕立て、シングル32回〜〜〜!」なんてときでも31回やって最後の一回は膝をつく、最後まで行けないの。

よく考えるとですね、最後ギリギリまで追い込まない、てか追い込めない、ずっとそんな生き方をしてきた気がする。

いいのかそれで? それでいいのだ。レット・イト・ビー、クインビー。

 

 

 

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