〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

ボルネオの蝶(ちょう)

ぼくは、20代の後半を、マレーシアで過ごしました。ボルネオ島マレーシア領サラワク州の北東部、ミリ(Miri)という小さな街です。

 

 

当時、ボルネオ島での陸上油田開発に従事していたんです。ジャングルの中で石油を探して掘っていました。とはいえ、ぼくは事務屋ですから、ジャングルの中の掘削現場ではなくミリ市街の事務所(「鉱業所」といいました)に勤務していました。

ミリと隣接するブルネイ王国の国境東側には、大河「バラム」が横たわっています。バラム川の河口から、約50キロほど川を溯り、河岸から東側の内陸に1.5キロほどジャングルを入ったところを切り開いて、数百メートル四方ほどの石油掘削現場を作ります。河岸には船着場、船着場から掘削現場までは、連絡道路(アクセス・ロード)を建設しました。

 

そのあたりのジャングルは、湿地帯です。あるくと、ズブズブ〜っと、くるぶしから、深いところは腰のあたりまで沈んでしまいます。そこに、幹の太さが10-20センチほどの木々が、1、2メートルの間隔で生い茂っています。

そんなジャングルを切り開いて、油田掘削の操業を開始するのは容易なことではありませんでした。

 

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で、お話はここから。

...... S君は、石油技術者で、僕より3−4歳年下。20代の半ばで、この現場の作業をしていました。

あるとき、シフトの時間になっても、S君は掘削現場に現れませんでした。スピードボートの乗船記録を見ると、S君は確かに船に乗っているし、船着場で下船しています。同乗した他の作業員の話を聞くと......

S君は、時間もあるから、と、船着場から掘削現場までのアクセスロード、約1.5キロを「歩いていく」とシャトルバスには乗らなかったそうです。

「ジャングルに入ったな!」

みんながそう思いました。

それからが大変です。現地警察・消防隊の助けを借りるのはもちろん、地元のイバン族の方々に日当を払って、人海戦術で捜索です。

「Sくーーーん!」  「ミスター・エスーーー!」

周辺をメッシュ状に区切って、もじどおりしらみつぶしに探していきます。

捜索開始から二日目のお昼、「まだ見つからないのかな...」と思い始めた頃、鉱業所に連絡がが入りました。

「S発見、S発見!」

発見者は、ぼくの同僚のK君でした。みんなが、ホッとしたことは言うまでもありません。よかったよ。

あとから、話を聞いてみると......

 

時間があるから、アクセスロードを歩いてみることにしました。ほんのすこし歩くと、おおきなまっしろい蝶(ちょう)が、ふわふわっと現れたんです。キレイだなって思って。つい追いかけたんです。もちろん、アクセスロードから大きく離れるつもりはないです。自分では、ほんの一歩、二歩、ジャングルの中に入っただけのことなんです。そしたら、いつのまにか、蝶(ちょう)はいなくなって。気がつくと、まわりに見えるのは木ばっかりで、どっちがどっちだか、わからなくなりました。すみませんでした。

 
彼が見つかったのは、アクセスロードから、ほんの50−60メートルほど離れた場所でした。発見者のK君から聞いた話では、S君は一本の木の根元にぐったりと座っていたそうです。K君が「おい、S!」 と声をかけたところ、弱々しい声で......

 

あ、Kさん、どうしたんですか〜〜〜?

 
本当に、無事でよかったです。ヽ(´▽`)/

 

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ぼくはミリ市街の鉱業所から東京の本社との連絡を行なっていました。行方不明が判明したときから定時の連絡は欠かさしませんでした。いさんで即時に「S発見!」の一報を入れたことは言うまでもありません。

すると、当時の本社の人事総務担当課長エヌさんは激高して東京の電話口からボルネオまで届くような声で叫んだんです。

 

「この責任をSにはきっちりと取らせる!」

 

違うだろ。

 

例えば、ぼくがなんかの事故にあっても、このエヌさんは「責任、責任!」とだけ言うんだろうなとぼくに八つ当たりする怒声を聞き流しながら思っていました。

 

エヌさん、どうしているかな。もう65歳を超えてるでしょうけど。

 

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