〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

どこにでも・何にでも

 

どこにでも、何にでも、いつでも楽しいことはあると思っています。

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豚バラ肉をとろとろになるまで煮たり、蒸したり、焼いたり、壺に入れたり入れなかったりで、甘辛く味付けしてあるもの。

その料理の方法のバリュエーションは多いけど、要するに中華風豚バラ肉の角煮です。そんな豚肉料理に「トンポーロー」っていう名前がついているタイプがあります。

トンポーロー、ぼくが大好きな中華料理なんですよ。漢字で「東坡肉」って書きます。

由来は、蘇東坡。



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蘇東坡・蘇軾は四川の人。宋代の高官であり詩人です。

政争に勝ったり負けたりの挙句、晩年には、親友でもある政敵によって、北宋の首都・開封から遥か南の広東は恵州に追いやられ、さらに数年後は、海南島に流されてしまいます。

蘇軾が50代後半から60代にかけてのこと。


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蘇軾の詩には、明るく屈託のないユーモアがあります。
...ユーモアって外国語でやだな。いや、もう日本語か。

自分を客観視して、その滑稽さ、悲しみさえも柔らかく受け止めおおらかに楽しむこと。そういう感情や感覚を日本語でなんと言えばいいのでしょうか。

蘇軾は左遷された先でも明るさを失わず、詩作を続けるとともに、そこでの仕事や生活を、そして大好きな豚肉料理を楽しみました。

豚バラ肉のトロトロ角煮を、蘇軾があんまり好んで食べたので、人々はそれを「東坡肉・トンポーロー」と名付けたほどでした。


あるとき、左遷された先で、土地の人が蘇軾にこう聞いたそうです。

「先生、こんな田舎に左遷されているのに、どうして先生はそんなに毎日楽しそうなんですか?」

とっても失礼な質問にもかかわらず、蘇軾は微笑みながら答えました。

「どこにいようと、何をしていようと、私は楽しいんだよ」

以上は、高校のときの漢文の先生から教わったエピソードです。

「諸君達はそうなれるか?」 

軍属*1として大陸を駆け回っていたという老先生は教壇で笑っていました。


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ときの皇帝が死に、蘇軾は赦免され都に帰ることが許されました。政界に復帰です。

いよいよ海南島を去るに当たって、こう詠みました。

  青山一髪是中原

和訳すると...

「はるか遠く水平線に青くかすむのが本土である」

...なんですが、和文に訳してしまうとなんとも締まりません。

漢詩の引き締まった精悍さが失われてしまいます。ところが、日本には漢文書き下しという文化があります。

 

  青山一髪 これ 中原

そこに込められた思いは、「その本土、その大地こそがこの世の中心、そして私が仕事をすべき場所なんだ」だったのでしょう。

 

  これ 中原


解釈しすぎですかね。

 

  青山一髪 これ 中原


蘇軾は帰路、都・開封へ向かう旅の途中で死にました。六十六歳のことだそうです。

 

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これもローストポーク。

東坡先生の豚肉料理には遠く及びませぬ。美味しかったけどねヽ(´▽`)/ 

 

 

© 朽木鴻次郎
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*1:特務だろうな。