〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

大切なもの、それをささえるもの

 

老後のこと、定年後の話になると、ついつい:

●「いくらお金があればいいか」

●「そのお金のためにいつまで仕事をするか/働くか」

そんなハナシになってしまう。

それはそうなんだけどさ。

 

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生きて行く上で、自分は今まで何を大切にしてきて、これから何を大切に思って行くんだろうか?

 お金ってやっぱり、その「大切なもの」を支えるためのものなんだと思う。当たり前なんですけどね、そこんところがこんがらがっちゃって、「お金」とか「お金を得るための仕事」とかが、その「大切なもの」そのものにとって変わってしまう。

はなはだしくは、「大切なもの」の上位にさえきてしまう。

 

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「大切なもの」と、お金をはじめとした「それを支えるもの」との、主従関係っていうか、主客関係っていうか、優先順位っていうか、目的と手段っていうか、そんな関係を間違えると不幸になる。

 

「仕事」ってものもそうかもしれない。仕事って、本来は大事なものを支えるものである「お金」を支えるものだもの。

 

「違う、そうじゃない!」って? 忌野清志郎はこう言ったよ。

--カネが欲しくて働いて、眠るだけ

 

 

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「仕事」のトリッキーなところは、やってるうちにそれが面白くなっちゃって「お金のため」という本来の目的から離れてしまうこと。「仕事」自体が何か人生の中心・大事なことそのものに変わってしまうこと。キラキラ輝く素晴らしいものに変わってしまう。

 

主に仕事の結果得られる「お金」のトリッキーなところは、トランプのジョーカーのようにオールマイティなところだ。十分なお金があれば、それをほぼ何にでも変えることができる(らしいよ、そんなにもってないからわかんないけど)。

「支えるもの」でありながら、お金が「本当に大切なもの」に思えてきてしまうことなんだ。

 

それはそれでいいかもしれないけどさ。

 

 

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ロボット三原則というものがある*1

ぼくはそれをもじって、サラリーマン三原則というのを以前ブログに書いたんだけど、機械奴隷であるロボットは人間を逆に写す鏡だから、人間らしく存在するためにはロボットの逆を行けばいい。だからロボット三原則では最下位だった「自分の身体と精神を保全すること」が、人間であるサラリーマン三原則では最上位に来る。

 

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「大切なもの」の一つは:

「自分の身体と心や精神の平穏」

 

人によっては、それと同じくらい大切なものが他にもあるかもしれない。家族かもしれないし......  あとなんだろう。それこそが自分の価値観なんだろうな。

 

少なくともお金ではないんじゃないかな。おかねは、大切なものを支えるためのものだ。お金の大切さは、とてもよくわかってるから否定しないけど。

生活を支える柱とは、「お金」「仕事」「心身の健康」「家族、恋人や友人」、この四つである。人によってはちょっと違うかもしれないが、そんなことは大した問題ではない。

以前はそう考えていたんですけど、ちょっと考え方を進化させました。ぼくだって、ちょっぴりづつは進化しているんだよ。ヽ(´▽`)/ ヤッター

 

先日、老後や定年後の資金計画を考える上では、自分の価値観を考えて見ることが必要である、みたいなことを書いたんです。今回は、そのときの延長で考えてみたことでした。

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*1:右のガラモンって異星人が作ったロボットなんだよ。