〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

正解ではなくて、判断とその結果があるだけだ

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定年・会社を辞めなければならないことについて正面から考え始めたのが55歳の頃。

「老後不安」をあおる声が多すぎる。あんまりたくさんの人が、声高にあおるものだから、こっちは必要以上に不安にならないように常にいましめ続けないといけないから困った世の中ですよ、ほんと
(;ω;)

あおるハナシを要約すると、「将来何が起こるかわかんないから金が足りなくなるよ、金が足りなくなると、苦しいよ、死ぬよ」というもの。

 

そんなの若くたって年取ってたって、いつでもある普遍的な人生の不安じゃん。

それに金のハナシばっかり目につく。やだね。


今は、「将来は不安だ」って煽ってるけど...

1960年代の後半ぐらいから70年代半ばにかけて「決められたレールの上を走るのは嫌だ!」「会社という巨大な機構の小さな歯車にはなりたくない」なんてのが流行ってた。ぼくより年上の、1950年生まれくらいの世代が学校を卒業する頃のこと。

今とは逆に、将来に「不安がなさそうなこと」「安定や低リスク」を否定して、煽ってたよ。

「就職のために髪の毛を切る」のが「妥協であり」ある種の「敗北」であるんだと。

 

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・モーレツからビューティフル

そのうちのどのくらいの人が、レールが途中で爆破されてしまったり、ちっちゃな歯車が安心していられる大きな機構自体が停止してしまうビューティフルでない現実に直面して愕然としたんだろう。


「寄らば大樹の陰」を選んだ人が良かったのかっていうと、その大樹だってあっというまに倒れる。で、あるならば、草の根・雑草が強いのかといえば、じゃまとなったら雑草はすぐに刈られ抜かれて枯れてしまうのですよ。


孤高に空を舞う鷹も獲物が見つからなければ死ぬ。


どの道を選ぶか、誰も正解を知らない。というよりも正解というもの自体がないんじゃないかと思う。

正解があるんじゃなくて、判断とその結果があるだけなんだよ。その結果がたまたま好ましいもんであれば「正解」というし、自分の意に沿わないなら「間違い」という。

ご都合よくね。

 

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定年後・会社を辞めた後の生活に不安がないわけではないし、不安がなくなることもないと思う。でも、生活の不安というのは、いつだってあるのです。それは定年後とか老後とかに限ったことじゃない。

なんらかの人生の節目に「将来のことを考える」から不安になるんだ。


日々忙しく働いているときには、将来のことよりも目の前の課題に集中してるから、不安になることが少ない。立ち止まって考えてみれば、そりゃいつだって不確実で、複雑で、不安定で、不安ですよ。

学生生活を終えて、社会に出るときは不安もあったのかもしれないが、若くて世間知らずだったから、こわさが分からなかったんだ。

60に近い今だって相変わらずバカで世間知らずなのかもしれないけど、ちっとは余計な知恵がついちゃっちゃったもんだから、妙に不安になるだけのことさ。


 

 

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