- 親父(オヤジ)もたいしたことねえな!
- 60年代の高度成長期にどうしてもっとうまく世の中を泳いで、成功できなかったのかよ?
多分、父親は、50台の初め・半ばだったころでしょう。今の僕より少し若かったはずです。
「そういうなよ、コージロー... できなかったんだよ」
怒り出すかと思ったら、意外にも穏やかな声でそう言われたので覚えているのですね。
父親は、1998年の10月に72で死んでしまいました...
今思うと、穴を掘って入りたい。父親に土下座したい。おれの言葉は針も毒もある。イヤな子供でした。そう言われてもグーの音もでない。
大正十五年生まれの父親は終戦の直前に兵隊にとられ、九十九里にタコツボを掘らされてM4シャーマンタンクへの肉薄を命じられて対戦車破甲爆雷を抱えているうちに終戦となり、復員後なんか政治家の秘書とかもしたらしいのですが、20代半ばにまずは江戸川で産経新聞の販売店を始め、数年後に日本橋に移った。
新聞販売店の経営は、そーとー苦労もあったらしいけど、そこそこ、どころか、かなりうまく商売をしていたと思います。
ただ今思うと「蓄財」ということには興味がなかったようでした。家族のためや自分の趣味に稼いだお金を使っていたと思います。
そのおかげで僕は教育を受けることができたし、あまり不自由を感じることもなかった。
ただただ頭が下がります。
親父が死ぬ前の年、1997年の夏に、ぼくは最初の転職をしました。
「大丈夫なのか?」
転職の事後報告をするときに、そう言われたかどうかさえも記憶がない。ぼくは自分のことしか考えてなかったんだと思う。
ごめんなさい。
俺なんか、もっと大したことないです〜ヽ(´▽`)/
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