〜 ハリセンボンのおびれ 〜

生活と愉しみ そして回想・朽木鴻次郎

自立と依存

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「自立」というと何にも頼らないこと、と思っていました。ところが、障害者さんの自立というのは、逆に「依存先を増やす」ということである、と。

 

「依存先を増やして一つ一つへの依存度を浅くすると、何にも依存していないかのように錯覚できる」

そういう考え方があると知って、目からウロコです。

(TOKYO人権 第56号-平成24年11月27日 インタビュー 熊谷晋一郎 小児外科・東京大学先端科学技術研究センター特任講師 より。ウエブの元記事はすでに削除されていましたので、リンク貼れませんでした。ごめんなさい。なので、別のネット記事で熊谷医師のご意見を見つけましたので貼っておきます。 )

 

www.univcoop.or.jp

 

ぼく自身も、なにかぼくを拘束するものから自由でありたい、自立して生きていきたい、何かに依存するのはごめんだ! と強く思ってきました。でも自由でいたい、自立したいといっても、人間は物や人やお金に必ず依存する、依存しないと生きていけないものなんだ。そもそも人間は自分の精神や肉体に依存している。ただし、その依存する対象を広く薄くしていれば「自由である・自立している、だれにも依存していない」と勘違いすることができる。

 

「自由だと勘違い」ということは「自由と思い込める」「自分が望む自由な状態」と言い換えることもできる。

 

熊谷医師はこうおっしゃっています。「実は膨大なものに依存しているのに『私は何にも依存していない』と感じられる状態こそが、“自立”と言われる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない」と。

 

このことは障害者の自立という文脈で語られたものですが、健常者にとっての自立・自由ということを考える上でもとても有意義だと思います。むしろ、障害者・健常者を超えて、人間の自立/自由を考える上でとても示唆深いものだと思いました。

 

 

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例えば、企業の健全性を測る一つの指標は、特定顧客への依存度の高さです。

 

特定顧客への依存度が極めて高い企業は健全とは言えない場合がある。なぜなら、その顧客の方針の変更という自社ではどうしようもない理由で経営・商売が左右されてしまうから。

 

ぼくの実家は新聞販売店だったのです。東京の大手町も区域で、大口の顧客がありましたが、そのうちの特に大口の企業が移転してしまった。大打撃みたいだったですよ。

 

依存しないで、つまり、他者・他人だけじゃなくて、天候や自然条件といったことも含めて、自分ではコントロールできないものと関係を持たずに人間は生きてはいけないんだけど、ある一つのあるいは少数のものとの関係に依存が高まると、「それがなくなったとき」のダメージが大きくなるということは容易に想像できる。

 

人生の三要素は、1. 肉体・精神、2. 経済性、3. 社会性にある。これに彩りや味わいの深みを与える絵の具/調味料が「趣味や娯楽・楽しみ」ではある。そういった要素に関連した依存をどれだけ幅広く、薄く保持することができるか。

 

意識しないでいると、どうしても依存の対象が絞られて、限られて来てしまう。大口顧客がいるからといって新規・小口の顧客開拓を怠ったとしたら?

 

小賢しく現状維持をしているように見えても、危うく、危険なタイトロープの上で一息ついているだけなのかもしれない。

 

©️ 朽木鴻次郎
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